norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

韓国行き 3

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 海外へ出掛ける時は成田の免税品店で旅行中に呑むウィスキーを買っていくのがならわしになっていたのだが、この年から初めてプラスチック製のボトルに入ったシーバスを買っている。ガラス製のボトルは重いので、旅行者にはプラボトルはとても有り難い。

 韓国へのフライトは2時間半ほどだった。向かったのは金浦空港。今では韓国のハブ空港は仁川(インチョン)国際空港になっているが、初めて韓国を訪れた時は仁川空港の開港直前、1箇月ほど前だった。

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 窓側の席で飛び立ってすぐに眼下に東京湾から相模湾へと移る際に三浦半島が観てとれた。その後、山麓の半分ほどを冠雪した富士の姿を目にする。

 隣の席はとても礼儀正しい韓国人の青年だった。見た目は日本人と殆ど変らないので、CAが日本語で話し掛けて反応しないので聞こえなかったのだと思ったらしく、更に大声で日本語で話し掛けていた。私が眼下の富士さんに見入っていると、その青年が「あれは富士山か?」と英語で話し掛けてきた。それをきっかけにフライトの間、お互い片言の英語でいろいろ話をしたのだが、どんな内容だったかはさすがにもう全く憶えていない。

 その日の夕方には最初のミーティングがある事になっていたのだが、機内ではCAにビールを頼む。海外へ行く時はいつもその国のビールを呑むことにしているのだが、その時乗った日本エアシステムでは日本製のビールしか積んでおらず、仕方なくキリンビールにしたと当時の日記には書かれていた。

 

韓国行き

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 韓国出張は2001年のまだ寒い時期だった。当時の日記によると世間の3連休に当たってしまってちょうどいい時間帯の成田エクスプレスが取れなかったとあるので、建国記念日の頃だったのだろう。

 同行したのはエンジン制御システムを共同開発していたH社の技術者T氏、そしてH社の海外営業のK氏だ。T氏は海外は初めてとの事。K氏はさすがに海外営業だけあって経験はあるものの、妙に海外馴れしていない人だった。

 飛行機は11時半発の日本エアシステムエアバスだ。日本エアシステムは私が若い頃にTDA(東亜国内航空)と呼ばれていたように記憶している。この時既にJALの参加に入っていて、機内誌もJALと同じものが使われていた。そして数年後にJALに吸収合併されて無くなって筈だ。

 

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初めての韓国

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 2000年の米国出張は、海外出張としては12年ぶりだった。しかし翌年の2001年には韓国へ出張する機会が訪れる。米国出張の時と内容は似ていて、その当時所属していた会社で扱っていたエンジン電子制御システムを韓国の自動車メーカー、ルノーサムスンに売り込む為のプロモーションだった。

 ルノーサムスンは韓国最大手の財閥サムスングループが1990年代半ばに悲願の自動車産業進出を日本の日産の手を借りて成し遂げて作った三星自動車が元だが、日産と同様に90年代終り頃、経営破綻しかけて、ルノーの出資により何とか生き延びた自動車会社だ。

 2000年当時は、初めて同社が自前の設計となる大型車SM5を世に出す為、エンジンは日産から調達し、エンジン制御システム、その中でも特に排気ガス規制対応システムを外注によって何とか成立させようとしていた。その売り込みの為に、行ったのだが、何故私にこの仕事が廻ってきたのかはもうはっきり憶えていない。

 

おまけ 同僚K氏の再出張

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 2000年の米国出張から帰ってすぐ、同行したK氏にフランス出張の話が舞い込む。今度はR社との商談だった。ヨーロッパには英語が堪能な現地駐在員が何人か居て、英語には不自由しないので、K氏も安心して出掛けていったようだ。

 出張から帰ったK氏からお土産に貰ったのは、世界的に有名な高級ストリップの店、クレイジーホースのパンフレットと現地で買ってきた雑誌、ペントハウスだった。クレイジーホースはK氏の上司にあたるY取締役とT部長のお供という形で行って来たらしい。パンフレットは入口に置いてあったのを持帰ったものとの事。何枚か持帰っていたようだ。ペントハウスは日本語版なら日本でも買えるものだが、英語版だったと記憶している。

 

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難民船と呼ばれた帰りの便

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 リアル京都の旅にまた出掛けていて、ブログ更新が滞ってしまった。初日は朝早くに出掛ける前に、最終日は日付が変わろうとする直前に帰宅出来てぎりぎりで更新出来たので、空いたのは二日分で済んだ。その模様は後日また記事にしたいと思っている。

 2000年の米国出張だが、ロサンゼルスは一晩だけ泊って帰国することになる。2000年当時のロスー成田便は、駐在員の仲間うちでは「難民船」と呼ばれていた。乗ってみて実感したのだが、凄い事になっていた。中国人を中心としたアジア系の人達が、米国内で買ってきたらしい買物の大きな荷物を抱えて乗ってくるのだ。搭乗が遅れたりすると、座席上の収納棚は他人の荷物で既に占有されてしまう状態に陥る。それだけでなく、通路やデッキ等々至るところにアジア人の持込手荷物で溢れかえる。一人、二人ならアテンダントが注意するのだろうが、あまりに多くの人間がそれをするので、諦めきっている風があった。違法ぎりぎりの荷物の持込をする人達だから、それなりにマナーは悪い。実に居心地の悪いフライトで日本への帰国を余儀なくされたのだった。

 

シーフードの店 キャプテンクック

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 ロサンゼルス最後の夜は、同行のK氏のたっての希望で、彼が前に訪れたことのあるシーフードの店、キャプテンクックを訪れている。運転はK氏の嘗ての部下(つまり現地駐在員に送り出した張本人という意味)を呼び出して運転をさせる。店は決して上品というような店ではなかったが、さすがに海辺でシーフード店を営んでいるだけあって、新鮮な海鮮フードで溢れている。ここでは念願だった本場のガンボ、ジャンバラヤ、クラムチャウダーを堪能している。特にガンボはその存在は知っていたものの、食べるのは初めてだったのでとても感動した覚えがある。オクラなどの夏野菜を多用して煮込んだ米国南部地方の郷土料理で、偶々この時乗ったノースウェスト航空の機内誌にレシピが載っていたので、帰国後何度もこの料理に挑戦した覚えがある。