norimakihayateの日記

 歩数計を腰に、バーチャルで辿る旅日記。今は山陽本線に沿って東京を目指しています。はやてのHomePageへのリンクも追加しました。

韓国 最後の夜

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 二日目のミーティングが終わって、サウナへ行ったのは前述しているが、その後、夕食を採るのに同行した営業の男はきっと何も検討しないで来る気がしたので、こちらで水源の地図やホテルのパンフレットを調べて、夕食の店をあらかじめ決めておいた。最初の夜が韓国焼肉の店での接待で、二日目の昼はRSMサイト内の食堂で韓国家庭料理風の食事と韓国料理が続いていた。それで外に出るのは寒そうだったので、ホテル内にある日本食レストランがいいだろうと提案することにした。

 夕食の為にロビーで落ちあうと案の定、営業の若い男K君は何も調べておらずノーアイデア。結局私の提案どおり、ホテルの日本食レストランに決まる。

 日本和室風の個室で、落ち着いた雰囲気の中、韓国衣装の女性がゆったりした雰囲気で給仕してくれる。しかし日本語は勿論、英語も殆ど判らない様子だった。付きだしの様なものは、ちょっと日本風ではなかったが、クラゲと数の子の寄せ物などあって、悪くはなかった。天麩羅やお造りは結構日本風だったが、当時の日記によると大トロは一部骨っぽくて、まるで鮪のカルビのようだったと書いてあった。お酒は日本酒はなかったものの、現地の酒が日本酒風で、三人で二本空けたようだ。

 画像は当初レストランの女給の雰囲気のチマ・チョゴリの画像を使うつもりだったが、数日前に使ってしまったので別の物。

 今日の画像は日本食レストランとは関係なく、ホテルのエレベーターかホテル前の電柱などに貼ってあったもの。ハングル文字は何と書いてあるのか全く読めないが、それっぽい店の案内なのだろう。

 

韓国からのメール

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 2001年の韓国出張についてはあまり記憶が残っていない。当時の日記を辿ってみても数行しか書いてなくてあっさりしている。それで当時、出張と言えばノートPCに通信モデムカードを持参して会社との間で電子メールをしていたことを思い出し、その記録も捜してみたが大したことは連絡していなかった。しかし、個人的なメールを我が家との間で交わしていたことを思い出し、過去メールを辿ってみると、こちらに最も詳しく当時の様子が残っていた。

 当時はモデムカードから電話線を繋いでアクセスポイントと呼ばれる電話番号に繋ぐ方式が採られていた。事前に韓国のアクセスポイントも調べておいたのだが、当時使っていたニフティ、およびその国外ローミングサービスを提携していたコンピュサーブにも韓国アクセスポイントは載っていなかった。それで殆ど諦めて韓国に出発したのだが、何故か韓国のホテルでは日本との通信に成功している。ホテルの案内に従って接続したのに違いないのだが、何故成功したのかはもう憶えていない。おそらく日本側では韓国の接続ポイントは有名では無かったのだが、韓国側では日本への接続ポイントはしっかり把握されていたのだろう。画像は以前にも使った当時の通信カード。

 

水源のホテル

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 水源(スウォン)のホテルには二泊している。ホテルの案内パンフ、水源の地図、観光地・華城の案内パンフなどは貰ってきた憶えがあるのだが、屋根裏の奥などを捜してもみつからなかった。当時から会社のサイトも居住地も変っているので、どこかで処分したか置いて来たのかもしれない。

 この当時は本格的なデジカメではなく、所謂トイカメラというのを携帯していた。それで撮った画素の粗い、小さ目の画像が出てきて、その中であの時の水源のホテルがCASTLE HOTEL(キャッスル・ホテル)という名前だったことを思い出した。今日の画像である。キャッスルというのは勿論すぐ傍の観光地、華城から来ているのは間違いない。

 ホテルにはサウナ付きの大風呂があって、二日目のミーティングが終わってホテルに戻ったのが4時半過ぎで、観光に出るには時間が少なく夕飯までの時間をこの大風呂で過ごした記憶がある。日本から持ってきたという大きな檜の湯船があり、湯温も22度、39度、43度と三種類あり、サウナも通常のとミストの二種類が用意されていた。当時の日記にはこのサウナがどちらも如何にも韓国風で物凄く熱く、5分居るのがやっとだったと書かれていた。

 

RSMテクセンでの打合せ

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 ルノーサムスンのテクニカルセンタがある水源(スウォン)という街は水源華城という古い城壁の跡が残っている観光名所のあるところだった。その横を擦り抜け、確か丘の上のほうにあったテクセンへ向かう。

 夕方からのミーティングにはRSM側からは4、5人が参加していたが、英語が話せるのは一人しか居らず、殆どがハングル語で喋っているのでこちらは何を話しているのかさっぱりわからない。所々で英語が判る一人が通訳してくれるのだが、こちらからのプレゼも英語でやってどれだけ向こうに通じたのか表情で観て取るしかないのだった。

 1、2時間程度でミーティングは終わって、RSMの技術者と営業の連中から近くのレストランへ招待される。ちょうど狂牛病が蔓延していた年で、名物の牛肉カルビなどは提供が禁止されていた。それで豚肉カルビの焼肉専門店へ案内されたのだった。水キムチを始めとして何種類もあるキムチの前菜があって、韓国特有の24度ほどある焼酎を韓国式の酌み交わし方で呑むことになる。幸い、こちらから出向いたメンバーに酒の弱い者が居なかったので、結構対等に飲み交わすことが出来たようだった。

 

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水源への道

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 韓国へ着くとすぐにタクシーでソウル市街から、ソウル郊外にあたる水源(スィウォン)というルノーサムスンのテクニカルセンタがある街に向かう。初めてみる韓国の街は、寒々とした冬場ということもあるのだろうが、灰色に煙って見えた。近くのそんなに高くない山は枯木ばかりで緑が無い。空もどんよりと曇っていた。

 韓国の市街地を走っていて驚くのは教会が多いことだ。尖塔があってその上に十字架が付いているのですぐに分かる。そんな教会が数百メートル毎にあるのだ。確か統一教会の本部は韓国にあった気がするのだが、韓国の宗教事情については詳しく知らないが、かなりのキリスト教徒が居るのは間違いないらしい。

 また面白いのは韓国国内を走っている自動車だ。韓国には当時現代(ヒュンダイ)、起亜(キア)というのと米国GM系列の大宇(ダイウ)という三大勢力があって、これに新興のルノーサムスンが食い込もうとしていた。国内を走っている車はGM系列の大宇製も含めて殆どが韓国内製なのだが、そのデザインが変っている。どの車も、世界のどこかで観たことがあるような気がするデザインなのだ。あれは確かベンツだな、あれはスバルだななどと思ってよくみるとエンブレムは韓国車のがついている。つまり外装デザインは殆どが世界中の何処かの国のパクリなのだった。15年位前の話なので今は多少は状況が変っているのかもしれないのだが。

 

韓国行き 3

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 海外へ出掛ける時は成田の免税品店で旅行中に呑むウィスキーを買っていくのがならわしになっていたのだが、この年から初めてプラスチック製のボトルに入ったシーバスを買っている。ガラス製のボトルは重いので、旅行者にはプラボトルはとても有り難い。

 韓国へのフライトは2時間半ほどだった。向かったのは金浦空港。今では韓国のハブ空港は仁川(インチョン)国際空港になっているが、初めて韓国を訪れた時は仁川空港の開港直前、1箇月ほど前だった。

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 窓側の席で飛び立ってすぐに眼下に東京湾から相模湾へと移る際に三浦半島が観てとれた。その後、山麓の半分ほどを冠雪した富士の姿を目にする。

 隣の席はとても礼儀正しい韓国人の青年だった。見た目は日本人と殆ど変らないので、CAが日本語で話し掛けて反応しないので聞こえなかったのだと思ったらしく、更に大声で日本語で話し掛けていた。私が眼下の富士さんに見入っていると、その青年が「あれは富士山か?」と英語で話し掛けてきた。それをきっかけにフライトの間、お互い片言の英語でいろいろ話をしたのだが、どんな内容だったかはさすがにもう全く憶えていない。

 その日の夕方には最初のミーティングがある事になっていたのだが、機内ではCAにビールを頼む。海外へ行く時はいつもその国のビールを呑むことにしているのだが、その時乗った日本エアシステムでは日本製のビールしか積んでおらず、仕方なくキリンビールにしたと当時の日記には書かれていた。

 

韓国行き2

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今日は旧友の突然の来訪を受けて何時も通りのブログ更新をすることが出来なかった。

明日以降、請うご期待。