norimakihayateの日記

 歩数計を腰に、バーチャルで辿る旅日記。今は山陽本線に沿って東京を目指しています。はやてのHomePageへのリンクも追加しました。

ペナン市内観光

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 2000年のペナンへの家族バカンス旅行の際も市内観光が付いていた。市内観光はホテルから車で30分ほどのジョージタウンという所がメインだった。車の中でペナンの名の由来はビンロウ樹という植物の名、ピナンだと知る。

 市内観光で最初に訪れたのは寝釈迦仏像のある寺だった。極彩色の飾りは如何にもアジアの寺という感じだった。1995年のタイ、チャアムビーチへの旅行の際にも同じような寝釈迦仏像のある寺だったが、ペナンのそれはあまり歴史を感じられない張りぼてのような造りに感じられた。現地案内人の説明で納骨堂になっている廟をぐるっと廻り、裏側に飾られている若くして死んだ美人のマレー人のことを得意そうに説明していたのだが、どういう関係の人だったかももう思い出せない。

 

シャングリア ラササヤン・リゾート

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 マレーシアの首都、クアラルンプールの空港を経由してペナンまでは30分ほどのフライトだった。驚いたのはペナンが南国の楽園のような島ではなかったことだ。有名なリゾートなのでさぞかし自然の奥深いところにあるのだろうと思っていたら、シンガポールを一回り小さくしたような都会だった。聞いた話ではマレーシア三番目の都市なのだとか。勿論ホテルの敷地はかなり広いので、ホテルに入ってしまえば喧騒からは隔絶されている。しかしホテルの門から少し歩けば繁華街というような感じだった。

 ホテルはシャングリラ系列のラササヤン・リゾートという名前だった。

 

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香港国際空港

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 ペナンへの旅行で香港国際空港へ立ち寄っている。この年の旅行で使ったキャセイ・パシフィック航空のハブ空港になっているからだ。海外旅行で香港に立ち寄るのは5回目の事になる。最初の海外旅行であるパリ行きが南回りだったので初めて降り立った空港ということになる。その4年後にローマ・パリの旅の時も南回りで降り立っている。しかもこの時は飛行機会社アリタリアのブッキングの都合で予定外に香港に一泊することになっている。これらはすべて啓徳(カイタック)空港という高層ビルの市街地にとても近い空港だった。

 ところがペナンへの旅で立ち寄った香港国際空港は一新された最新鋭のとても大きな空港になっていた。開港したのは1998年でまだ二年しか経っていなかった。香港がイギリスから中国に返還された1997年に間に合うように計画され島を埋め立てて造られたらしいのだが、結局工事は返還時には間に合わなかったらしい。

 この空港では成田からのボーイング777ジャンボ機からエアバスA340への乗り換えがあって、空港内で約1時間待たされたのだが、空港内はとても快適でいい気分転換になったようだ。

 

初めてのキャセイ・パシフィック航空

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 2000年のペナン島の旅も、前年、前々年同様、H.I.S.で予約したツアーで使われた航空会社はキャセイ・パシフィック航空だった。初めて乗る飛行機会社で、あまり強烈な印象は残っていない。香港を拠点とするフラッグ・キャリアだということを今回再認識した。当時の日記をみると、機内で中国産のビールを頼んだら普通のしかないと言われ、持ってこられたのは日本のアサヒ・スーパードライだったと書いてあった。海外の航空会社の飛行機に乗ると、必ずその国のビールを注文するようにしていたので、当時キャセイは中国系の航空会社だとは認識していたらしい。

 香港が基幹空港なので、成田から一旦香港に降り立ち、そこからクアラルンプールを経由してペナン島の空港へ向かっている。シンガポール航空の時と同じく、全席にモニタが採用されていたが、ゲームはエコノミークラスには付いてなくて子供達はがっかりしたとも日記に書かれていた。この頃から全席モニタ付きの飛行機が次第に増えていったようだった。

 

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2000年 アジアンリゾート最後の旅 ペナン

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 1990年インドネシア・バリに始まった家族アジアンリゾートのバカンス旅行だが、2000年を迎えた夏に最後ということになる。次の年には上の娘がいよいよ高校受験となるからだった。

 最後のアジアンリゾートとして選んだのはマレーシアのペナン島だった。タイのプーケット島、インドネシアビンタン島やシンガポールからはそんなに遠くなく、ちょうど中間ぐらいの距離だ。この時代のアジアン・リゾートバカンスでは、バリ、フィジーを始めセブ島モルディブ島他、南国の島へのツアーで溢れていた。そんな中からペナンを選んだのは特に理由はなかったようだ。我々家族にとってシンガポールとマレーシアはさしたる違いはなく、シンガポールが思いのほか良かったので、同じ地域ぐらいの感覚だったように思う。

 

シンガポールから成田への夜間飛行

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 シンガポール市街のコンコルドホテルを後にして空港に着いたのは夜9時半ぐらいだったように思う。フライトは11時過ぎで、子供達は飛行機に乗ってからの各席に付属しているモニタ機でゲームをやるのを楽しみにしていて、何とか寝ない様に頑張っていた。私は空港で待つ間、シンガポール航空アテンダントの独特の現地民族衣装の姿や、アラブ人の目だけ出した黒装束の女性などをビデオでこっそり撮るぐらいしかやることがなかった。

 11時過ぎに成田行きの航空機に乗り込み、息子が暫くゲームに興じていたがすぐに寝てしまい、娘は機内上映の映画で踊る大捜査線を見つけて頑張ってかなり遅くまで起きて観ていたが、そのうち寝てしまった。私は夜間飛行でも殆ど寝ないタチなので、ずっと起きていたように思うが、それでも成田まで転寝ぐらいはしたような気がする。そんなこんなで1999年の家族バカンス旅行は終わったのだった。

 

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最後のアラブ人街

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 高島屋で買物ゲームをたっぷり愉しんだ後、荷物を置きにホテルに帰る事にしてタクシーを拾う。荷物を置いて来た後、すぐにまた乗ってアラブ人街に行くのでホテルの前で待っていてくれと運転手に頼むと、アラブ人街には行けないという。中国出身者らしい顔つきの男だった。どうも人種に依って入れない地区があるらしいと見当をつけ、一旦タクシーを返す。子供達を部屋に残して夫婦二人で再度タクシーを拾うと、今度の運転手は問題なくアラブ人街へ行けるという。ここは殆ど妻の買物のおつきあいで、最初はサリー。その後、サリーを身に着ける際に着る下着類を買うのを付き合わされる。

 チェックアウトタイムの6時ぎりぎりで部屋を引き払い、送迎バスが来る9時近くまでホテルのロビーやホテル内の土産物店などをひやかしながら過ごす。送迎バスがホテルを出たのはもうすっかり暗くなってからで、ラッフルズホテルなどの照明が輝いている街を通り過ぎて空港へ向かったのだった。

 

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