norimakihayateの日記

現在は私の海外史に特化して記しています。私的な意見ははやてのHomePageへ書いています

ホテル予約での苦戦

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 出発日1箇月半前、早々にパリへの往復便とパリー南仏間のTGVの予約も取ってしまい、インターネットで調べるとホテルもかなり豊富にあることが分かり、余裕だと高を括っていた。ところが最初のホテル予約申込のメールを入れた出発四週間前からそんなに簡単ではない事が発覚する。

 最初のメールに対する返事が「COMPLE」だった。フランス語だとは思ったが、英語のCOMPLETE(完了)に相当する言葉だろうとはすぐに想像がついた。

 予約完了という意味に取ったのだが、いろいろ観ていてそうではない事が発覚する。申込者にとって完了は予約取得を意味するが、逆の立場でホテル側からすると、部屋のブッキングを完了するというのは予約が埋まるという意味。つまりフランス語でCOMPLEは予約満杯という意味だったのだ。

 その後、冒頭の画像のようなメールのやり取りを数十は大袈裟だが、十数回はする羽目になる。

 当初は所謂B&B(Bed & Breakfast)方式の朝食付き宿泊の田舎のホテルを想定していたのだが、いろいろ調べていくとアクセスに結構問題があることが分かってくる。当地でレンタカーを借りて廻ればあまり問題はないのだが、移動を電車とタクシーに頼るとなると田舎のB&Bは余り便利ではない。

 TGVの駅付近のホテルに狙いを定め、そこを基地として電車とタクシーで行って帰ってくるという作戦に変更したのだった。それにしてもなかなか予約が取れなかった。

 

南仏への経路

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 当時、日本から南仏へ行くにはパリへ一旦行って、その後TGV(テージェーベー)という日本の新幹線に相当する高速鉄道で向かう手と、成田から直接ニースの空港へ降りて向かう手があって、両方パリ経由、両方ニース経由と、その両方を使う二通りの全部で四通りの方法があった。

 微かな記憶だが、ニース経由は日本航空が運航していたように思う。パリ経由はエールフランスだったので、折角フランスへ行くのにJALは無いだろうと往復パリ経由にしたのだった。パリはそれまでに夫婦では三度訪れていて第二の故郷ぐらいの感覚だったので、子供等にも是非パリを味わって貰いたかったのもある。

 TGVは既にインターネットを通じて日本でも予約することが出来たが、切符の受け渡しや料金の払い込みなどに心配があったので、TGVもH.I.S.を通じて取ることにしたのだった。

 

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H.I.S.の薦め

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 南仏プロヴァンスへの出発を6月中頃と決め、それ以前に何度も海外家族旅行で使っていた旅行会社H.I.S.の門を叩いたのはゴールデンウィークを一週間後に控えた4月終り頃。旅行出発の1箇月半前の事だった。

 H.I.S.で好みのホテルや行きたい場所を告げると、好みのツアーを見つけるのは難しいとの事だった。南仏プロヴァンスのツアーは無い訳ではなかったが、H.I.S.等の旅行会社が組むのは、大勢のツアー客を収容出来る大型リゾートホテルが主で、我々が希望した田舎の小規模なホテルは殆ど扱っていないとの事だった。旅行会社のツアーコンダクタが我々に提示したのは、この会社で往きと帰りの飛行機便だけ取って、後はインターネットなどを使って自分達が泊りたいホテルを直接現地と交渉して取るのが一番いい方法だというものだった。

 パリへの往復の便はその日のうちに取れたので、あとは自分達でホテルを捜そうということになる。

 

あのタイミング

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 南仏プロヴァンスの旅を敢行したのは、2002年6月だった。何故、そんな時だったのだろうかとずっと考えていた。私も妻もその当時仕事を持っていたし、娘も息子も学校があった筈だ。

 色々資料を繰っているうちに、あの年は妻が就職して20年目だった。20年目の年には記念として長期休暇が取れることになっていたようだ。その時に旅行をすると補助も出たような気がする。

 一方私のほうも就職25年目だった。私のほうは節目の年に長期休暇を取るという制度はなかった気がするが、もうずっと何年も夏になると自主的に一週間程度の休みを取っていて、周りもあの人はそうなんだと認めだしていた。しかし、2002年は実は部署も地区も異動になったばかりの年で、周りの人に初めて夏に一週間の休みを取るというのを認めさせなければならなかった。

 娘のほうは前年に高校入試の為に海外旅行を諦めた経緯があり、次の大学受験までに大きな海外旅行をするとしたらこの年しかないと思っていた。

 息子のほうも小学校の高学年に差し掛かり、中学になってしまうと海外家族旅行は難しくなると思い、この年しかないと判断したのだろう。

 

プロヴァンスへの想い 3

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 私達をプロヴァンスへと導いたものにはハーブがあったかもしれない。結婚して7年目に中古住宅から買い替えて今の庭付きの家を建てた時から我が家のハーブ栽培は始まった。一番古いのはイングリッシュ・ラベンダーで当初、庭の中央に植えていて、途中から玄関先を飾るようになり、今では樹齢29年を数える老木なった。フレンチ・ラベンダーもその隣に植えられ春先には競うように花を付ける。

 庭の周りを生け垣として囲うローズマリーも家を建てたほぼ当初から植えられていて、こちらも段々老木化し、二回ほど若木に植替えをして今は三代目となる。

ラベンダーもローズマリープロヴァンスにはごく普通に自生していると聞いていて、いつか自分の目でプロヴァンスのハーブたちを観てみたいとも思っていたのだ。

 

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プロヴァンスへの想い 2

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 私をプロヴァンスへの旅に背中を押したもののひとつに1990年代初め頃にNHKで放映されたドラマがある。「誌城の旅びと」というものだ。ある新聞記者が謎の女性に薦められて南仏プロヴァンスでの駅伝大会を企画する。その準備の為に南仏を訪れている間に事件に巻き込まれていくというミステリだ。

 主演の新聞記者は緒方拳、原作は松本清張、タイトルバックの題字も清張のものだった。音楽はその当時飛ぶ鳥をも落とす勢いのあった三枝成彰。超豪華スタッフによるドラマだった。冒頭、三枝のプロバンス組曲流れるタイトルバックで使われた映像は、南仏のとある観光地。大理石の丘の上に立つ廃墟、レ・ボー・ド・プロヴァンス。ヘリコプターからの撮影で遠景から次第にズームアップしていくと、廃墟の上を風に逆らいながら登っていくトレンチコートの男が視界に入ってくる。何ともドラマチックな仕立てで、何としてでもこの地に立ってみたいと私に思わせたのだった。

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 ドラマの中に出てくるミステリアスな女性を演じていたのは中川安奈という女優。このドラマで初めて観て、その後1、2作ぐらいしか作品に出遭っていない。きっと大成する女優だと確信して、その後どんな作品に出演したのか調べてみたら、何と数年前に夭逝していたことを初めて知ったのだった。

 

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プロヴァンスへの想い 1

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 今日からは2002年に敢行した、南仏プロヴァンスへの旅行記を綴ることにする。

 この南仏プロヴァンスへの旅は、数ある我が家の家族海外旅行の中でも最も思い入れの深い旅と言えるだろう。その辺もおいおい語っていくことにしたい。

 最初は南仏プロヴァンスへの旅行を思い立ったきっかけのうちのひとつ。

 1980年代のどこかで出遭った二冊の本だ。著者はピーター・メイル。「南仏プロヴァンスの木陰から」と「南仏プロヴァンスの12ヵ月」だ。どっちかが本編で、どっちかが続編だったと思うのだが、もう今となってはどっちがどっちかも覚えていない。どうして出遭ったのかも覚えていないが、私が本を選ぶ大抵のきっかけはラジオ番組での紹介を聞いてなので、この時もおそらくそんな事だったのだろう。

 とにかくこの二冊を読むことで、南仏プロヴァンスへの想いが高まり二十年来の憧れを遂に実行に移した旅行だったのだ。