norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

初めてのドライブ一人旅

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 大学三年にあがってすぐ運転免許の教習所に通い始め夏前に免許を取得した。その時は自分で車が持てるなどとは思ってなかったが、夏になってすぐに手に入れることになった。父親の同僚だった人が自動車修理工場を持っていて、そこで安く紹介するからと言われたそうだ。その人が今時の若いのなら、こういうのがいいだろうと、中古の軽自動車だったがホンダのスポーツクーペを推薦してくれたのだ。車が来たての頃は早く慣れようと毎日のように乗っていたが、この車で宿泊旅行に出たのは九州旅行をしてから約半年が経過した大学三年から四年に上る前の春休みだった。

 相変わらずお金はそんなに持っていなかったので大学の体育会の寮に泊ることにした。以前に自転車旅行で泊ったことのあるY湖畔の寮に三泊、更には伊豆のH岬の海岸縁に建つ寮に二泊、計五泊六日を計画したのだった。

 

日明(ひあがり)の叔母の家

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 祖母の家を訪問した後、九州最後の一泊をする為に向かったのは小倉にあった父の兄弟のうち長女だった伯母の家だ。幼少の頃、正月というと親戚の家に年始に行くという事が多かった。父から見て妹ではあったが、長女の叔母は小倉に棲んでいた。肉屋を経営していて、父の兄弟の中では一番羽振りが良かったように思う。子供の頃、親戚廻りをしていて、お年玉が一番多く貰えたのがこの家だった。

 ちなみにこの頃、親戚は棲んでいる地名で呼ぶという風習があって、小倉の家は日明(ひあがり)という場所にあったので、日明の叔母と呼ばれていた。日明(ひあがり)という地名は難読と呼ばれる地名の一つだそうだ。大学生の時訪れた際には既に引っ越していて肉屋も営んでいなかったように思う。ちなみに父の兄弟の次女(秋吉台までドライブに連れていってくれた従兄弟が居た)の家は若松の叔母と呼ばれていた。祖母の家は祇園町の家と言っていたし、親戚ではないが仲人だったZ家は大里のおじさんと言っていた。父と長男の伯父は我が家と続き長屋に住んでいたが周りから何と呼ばれていたのかは知らない。町名は小山田から槻田(つきた)に変わったので、おそらく小山田の長兄、小山田の次男ぐらいの言い方だったのではと思われる。

 九州最後の夜にこの日明の家(実際には既に日明ではなかったが)に泊らせて貰って翌朝、その家の娘さんに小倉駅まで車で送って貰い、伯母から新幹線の切符を買って貰って関東へ向けて帰ったのだった。その当時は東京から小倉か博多まで新幹線が延びていたが、学生身分で自腹で新幹線に乗れる時代ではなかったのだった。

 

祇園町 祖母の家

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 大里の叔父さんの家でフグ刺しを御馳走になった後、母方の祖母の家に向かっている。祖母の家というのは、祖父は私が生まれる前に亡くなっており、別の人と既に再婚していたからだ。私達家族が北九州に棲んでいた頃には再婚後近くには住んでいた。先に紹介した帆柱山の麓で八幡駅から真っ直ぐ南へ向かって坂を昇っていった祇園町という小高い丘の上にあった。幼少期には夏などによく泊まりに行っていて、かき氷の店に連れていって貰ったことをよく憶えている。また家のすぐ裏手にお寺か神社があって、夏に泊りにいくとミンミン蝉がずっと鳴いていてのをよく憶えている。

 再婚相手の義理の祖父とでもいうのだろうか、その人は仏教に造詣の深い人で、久々に訪れた大学生の私に、菩薩の意味とか涅槃とかについていろいろ講釈してくれたのが記憶に残っている。

 

大里の叔父さんの家

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 秋吉台秋芳洞の片側の入り口で下して貰って、高校の修学旅行に続いて二度目の見学をして、反対側の出口で待っていてくれた従兄弟の車で九州へ戻ることになる。午前中半日のドライブだった。

 その後は門司に棲むZ家を訪ねることにしていた。Z家は地名としては大里という街だったので、大里の叔父さんの家と呼んでいた。ずっと親戚の様な付合いのあった家族だが、親戚ではなく両親が結婚する際に仲人をしてくれた夫婦との事だった。着いたのはお昼過ぎぐらいで、私の為にフグ刺しを買ってきてくれた。勿論フグ刺しなど食べるのは初めての経験だ。

 門司のZ家は玄界灘に臨む海のすぐ近くで新鮮な魚が豊富にあったようだ。母が関東に引っ越してすぐの頃、魚屋へ行っても新鮮な物が無いと嘆いていた。それぐらい北九州は当時新鮮な魚が多く流通していたようだ。

 Z家は海に近いので子供の頃、家族皆で夏によく海水浴に来て泊めて貰った記憶がある。Z家で海水パンツに着替えてそのまま裸足で浜辺までZ家の兄弟と一緒に歩いて行くのだ。そんなくらいに海が近かった。

 Z家の帰りには国指定文化財である旧門司駅に寄っている。旧門司駅は今は門司港駅となっていて、以前に大里駅だったものが現門司駅と称しているのでまぎらわしい。

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秋吉台ドライブ

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 帆柱山巡りをした夜は、今度は叔母の家に泊めて貰うことになる。私の父は元々五人兄弟で、末っ子は幼くして夭逝しているので子供の頃、親に連れられ四人兄弟で長崎から北九州の方へ移ってきている。長男の叔父が八幡、長女の叔母が小倉、次女の叔母が若松と分かれて住んでいて、八幡の叔父の家の次に泊まったのは若松の叔母の家ということになる。

 こちらには年が近い従兄弟が居た。私はその年の夏に運転免許を取ったばかりだったが、こちらの従兄弟もちょうど免許を取ったばかりで、彼の運転で山口の秋吉台にドライブに連れていってくれることになった。関門海峡を越えてゆくことになるのだが、私が15年前に九州から関東に移った時には関門トンネルしか無かったが、その時は二年前に出来たばかりの関門橋を越えていくことになる。当時はまだ日本そして東洋一の長さを誇った橋だった。

 

幼い日の思い出 帆柱山

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 八幡近辺を従姉妹が案内してくれるというので、もう一つどうしても行って見たかった場所、帆柱山に連れていって貰うことにした。

 今日の最初の画像は私の小学校入学の日の写真で、家のすぐ前で撮ったものだ。背景にうっすら写っている山が帆柱山だ。毎日家から見ていた山だが、ケーブルカーで登れる有数の観光地でもあった。はっきり記憶にあったので、家族で何度かは登っている筈だ。八幡に幼少期にあった我が家というと思いだすのがこの山だったのだ。

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思い出巡り 八幡

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 従姉妹に八幡駅に迎えに来て貰ったおかげで無事、叔父の家まで到着することが出来た。15年前、九州から関東地区へ引越をする迄、我が家は叔父の家と棟続きの長屋住まいだった。その時と同じ家まで案内して貰ったのだが、どうやって行けばいいのか全く分からなかった。なにせ、八幡、小倉、博多という主要都市がお互いにどういう位置関係なのかも頭に入っていない状態だったのだ。

 叔父の家に泊らせて貰った翌日、従姉妹が仕事の休みを取っていてくれたおかげで、昔懐かしい場所を案内して貰えることになった。一つは棟続きの叔父の家の子供等と我が家の子供等合せて九人で毎週通った教会だった。子供達だけで手を繋ぎあってではないかもしれないけれど、市場を抜けその先の路面電車の大通りを渡って、坂の上にあった教会を歩いたのだった。そこには付属の幼稚園があって私自身も何年かそこに通った。驚いたのは15年経っていたにも関わらずその時のフランス人の神父様と保母さんが健在でまだ勤めておられたことだった。

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