norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

日本 上空へ

f:id:norimakihayate:20180604134020j:plain

 ハノイ行きベトナム航空便が成田を飛び立った時は生憎の曇り空で窓側の席だったにも関わらず、殆ど何も見えなかった。しかし名古屋を過ぎる辺りから空は晴れてきて地上の様子を確認することが出来るようになった。

 一番はっきり判ったのは関西国際空港で、今日の画像では光が反射してはっきりとは見て取れないが、海の上にほぼ四角の敷地と滑走路が確認出来た。

 その後、飛行機はずっと四国の北側を飛んで、特徴的な佐田岬がはっきりと捉えられた。

 

ハノイ便 離陸

f:id:norimakihayate:20180603180140j:plain

 成田発、ハノイ行きのA380に乗り込んで第二ターミナルビルの搭乗ゲートから滑走路へ向かう。当時はあまり位置関係は頭に無かったが、メインに使われていたA滑走路へは成田空港の敷地を大きく右回りで外側を周り込むようにして第一ターミナルビルの南側まで向かう。途中、以前にも見た成田闘争の残骸のような建物と鉄柱を目にする。おそらく今はもう既に撤去されていると思うのだが、あの当時はまだ空港敷地内に残っていたようだ。あの闘争に今から振り返ればどんな意味があったのか、首を傾げざるを得ない。安保闘争もそうで、もう少し今に近い話題で言えば、つい数年前の安保法制整備に関する国会前のデモもそうなのかもしれない。いつの時代でも国民が冷静さを失って、アジテイトする輩にいとも簡単に操られてしまうというのは起こるものなのかもしれない。

 機体が軽そうなA380-200は何時も計測しているエンジン全開からランディングギアが地上を離れる離陸までは、最近ではとても短いと言える40秒で飛び立った。

 

ベトナム航空ハノイ行き A380-200

f:id:norimakihayate:20180602121056j:plain

 今回のハノイ行きは当然の事のようにベトナム航空。飛行機はエアバス社、A380-200。欧州の国内線で使うような比較的小さな機体だった。

 免税品店でペットボトル入りのシーバス500MLを二本買うとシャトルに乗って搭乗ゲートへ向かう。ハノイ行きの搭乗ゲートはとても混んでいたので、反対側のゲートで空いている席に座る。

 妻は一旦は別れた中国人兄妹が気になるらしく中華航空のほうへ観にいったようなのだが、係官から「ここを封鎖します」と言われて追い出されたそうだ。どうも検疫か何かで引っ掛かったらしく、降りてきた男が独りだけ床に座っていたという。疫病か何かの隔離なのだろう。私も観に行こうと思ったがちょうど搭乗開始のアナウンスが流れたので諦めることにする。

f:id:norimakihayate:20180602121113j:plain

 

成田 第二ターミナル

f:id:norimakihayate:20180601113737j:plain

 集合場所の成田第2ターミナル団体旅行カウンタには集合時間の8時まで15分ほど早く到着した。京成スカイライナ―に乗ったのが6時58分だったので40分ほどで空港まで来たことになる。日記をみると、第2ターミナルを使うのは1998年のバリ旅行以来のようだ。第2ターミナルというと、出来た当初はキッズルームが完備していてとてもいいと思ったが、何時の間にかキッズルームを利用する時代は通り過ぎていた。

 団体旅行カウンタで時間前にA4の紙に印刷しただけのチケットを貰いすぐにベトナム航空のカウンタへチェックインに向かう。まだ早い時間だったので席は自由に選べ、翼の少し後方の窓側を取ることが出来た。

 朝食を日暮里駅の売店で何か買うつもりだったのだが、駅コンコースには売店が見当たらず、成田についてからということにした。旅行会社から貰った書類の中に空港内のマクドナルドで使えるクーポン券があったので、それでハンバーガーとコーラを買う。食べる場所を探してターミナルビルの一番端まで来るとちょっと薄暗いコーナーでフライトシュミレータのゲーム機があって、その後ろに幾つかベンチがあったのでそこで食べることにする。食べているとカートを曳いた二人のCAがやって来て暇つぶしなのか暫くそのフライトシュミレータのゲームをやっていた。殆ど人が来ない場所で、知る人だけがやって来るコーナーのようだった。

 

京成線で成田へ

f:id:norimakihayate:20180531110911j:plain

 2011年のベトナム旅行の際の成田空港へのアクセスは最寄駅を始発で出発して山手線で日暮里から京成スカイライナ―に乗ることにした。前年に開通した上野―成田空港線というこの電車は開通した年に台湾旅行で使ってからすっかり気に入ってしまった。なにしろ速い。新宿を経由しての乗換えもとてもスムーズなのがいい。

 日暮里駅のホームでスカイライナーが入ってくるのを待っていると明らかに喧嘩している男女をみつける。ちらちらと聞こえる会話の端々から間に合う、間に合わないの問題で揉めているらしい。男の方が「エレベータが来た時に既に・・・だっただろう」というような事を言っている。てっきり新婚夫婦の新婚旅行だと思っていたので、成田離婚のタイプなのかと思った。しかし同じ様に傍で観察していた妻によると中国人留学生の兄妹の一時帰国ではないかと言う。とにかく(近っ)と言いたくなるぐらい目と目を近づけて睨み合っている。妻だか妹だかのほうも、むくれて口を尖らせて口を利かない。しかし眼は負けじと逸らさないで睨み続けているという感じだった。この成田離婚組が京成スカイライナ―の通路を隔てた反対側にずっと居た。

f:id:norimakihayate:20180531110929j:plain

 

ベトナム旅行 旅程

f:id:norimakihayate:20180530112607j:plain

 旅行会社から送られてきたのはA4一枚の予約確認書とこれもA4一枚の旅行工程表のみ。こちらから送ったのも旅行会社のサイトからダウンロードした申込用紙に手書きで記入した紙一枚。パスポートのコピーを送れというので、電子メールの添付で送る。どんどん簡素化されていて、カラー写真の付いた案内パンフレットみたいなものは一切ない。

 今回は子供達も一緒には行かないというので久々の夫婦二人だけの旅になる。三泊五日、すべてフリープランで往き帰りの空港、ホテル間の送迎があるのみ。今回は市内を歩いて巡るだけにして、オプション的な観光ツアーもしないことにした。

 ホテルは市内を巡るのに何処へでも歩いていけそうな街の中心にあるということで選んだホアビン・パレスというところ。スーペリアホテル滞在と銘打っているだけあって、超高級ではないものの、そこそこの三ツ星か四つ星ぐらいのホテルだった。

 

初めての年二度目の海外旅行

f:id:norimakihayate:20180529091518j:plain

 2011年は初めて年二回の海外旅行を敢行した年だった。それだけ日本に閉塞感が強かったのかもしれない。大震災直後の3月に行ったシンガポールの次、二度目に選んだ渡航地はベトナムだった。

 きっかけが何だったのかは最早思いだせないのだが、8月終り頃旅行に出るのに、7月頭ぐらいにネット展開していたエイビーロードのツアー募集サイトで妻が見つけた「スーペリアホテル滞在 ハノイ五日間」というものだった。

 シンガポールに新嘉坡鶏飯(シンガポールチキンライス)があるように、ベトナムにはフォーがあった。偶々だが、私が横浜、川崎方面に出張する際には必ずと言っていいぐらい使っていたフードコートの屋台があった。横浜駅西口の地下、伊勢丹モールの奥にあったフードコートで、元々はベトナムフォーの専門店シクロだった場所で、その後その店が閉店した後に入ったのが新嘉坡鶏飯の店だった。いずれの店でも散々ランチを食べたのだが、シクロ時代の生春巻き付きのフォーのセットはお気に入りのものだった。

f:id:norimakihayate:20180529091818j:plain