norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

プレゼンテーション

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 四日ばかりリアル旅に出ていて、ブログの更新が三日ほど滞ってしまった。その辺りの顛末についてはまた後日記すことにする。

 さて、2002年の上海出張だが、プレゼ時間の最後のほうに私の順番が廻ってきた。一応中国語に翻訳する通訳がついていて、日本語にするか英語にするか迷ったが成り行きで英語でやることになる。しかし会場に居た中国人たちは英語の判る人は殆ど居なかったみたいで(勿論、日本語もだが)どちらでやっても同じことだったらしい。ただ、コンパニオン嬢は英語の発音がいいと褒めていたと後で知り合いで年下のエンジニアのA氏が教えてくれた。

 プレゼ中にはパソコンから動画を流すことになっていて、嘗ての部下で今は営業のK氏がパソコン操作の助手を務めだして嫌な予感がしたのだが、案の定パソコンがハングアップして画像がなかなか出て来なかった。別の営業のS氏が代わって何度かPCを立上げ直すことで無事、映像も使うことが出来たのだった。

 

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会場のコンパニオン嬢たち

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 チェックイン後、荷物を置いてすぐ会場のホールがある階へ向かうが、プレゼの順番は入れ替えてくれていて、最後のほうになったのでちょっと時間に余裕が出来た。会場には入口のレセプションと展示会場にチャイナドレスを着た若い女性のコンパニオンが何人か配備されている。かなり上まであるスリットから垣間見れる白い腿にはっとさせられる。聞いてみると中国人学生のアルバイトとのことで、コンパニオン兼通訳だそうだ。中国語、英語、日本語が話せるとのことだった。

 

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ホテル・新錦江大酒店  JIN JIANG TOWER

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<ホテル 新錦江大酒店 JIN JIANG TOWER>

 上海の空港から1時間ほどで市内に入り無事会場のホテル、新錦江大酒店に到着する。確か50数階ぐらいあり、背の高いビル群の中にあって、ひときわ高かった記憶がある。

 ホテルに着いた際には既にプレゼは始まっているとの事で、上の階に急いだのだが、5階辺りにあるラウンジでほぼ同時ぐらいに到着した会社役員たちと合流してしまう。上位者から順にチェックインしていて、嘗ての上司だったF専務が予約、キャンセル、ダブルブッキングのおかげで部屋が有る、無いでホテル側となかなか話が合わず難航していてなかなか進まない。プレゼの事でやきもきしていると、古手の営業課長が傍にきて「まあ、もう今更慌てても仕方ないから」などと宥めに来る。やっとの事で自分の22階の部屋にチェックインできる。ビルの半分より下だったが、それでもかなり眺めは良かった。

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ホテルへの道のり 3

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 上海浦東国際空港を出てすぐの道路は片側5車線の道路だった。その後、1時間弱で上海市内へ入るリングへ乗ったのだが、こちらも片側3車線の道路。

街を走る車の半分はトラック。乗用車の9割方はフォルックスワーゲン社のセダン、サンタナ。それもモデルチェンジをしたばかりの古い方の車型だった。

 サンタナはVW社の世界戦略車、それもアジアが主体の車だったようだ。日本では日産がOEM生産をしていた時期があるが、品質としては酷いものだった。

 

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ホテルへの道のり 2

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 2002年は、もうあまりはっきり憶えていないのだが、当時の日記によると上海ではリニアモーターカーの線路が建設中だったとある。暫く前に中国で新幹線が正面衝突か何かで脱線し、その車両を土の中に埋めてしまおうとして問題になったが、あの列車の走っていた線路だったのだろうか。もう15年も前のことになる。

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 リニアカーを作っているかと思うと、別の道では農夫らしき男が焚き木のようなものを積んでリヤカーを牽いていた。

 画像は残っていないのだが、上海は当時大きなビルの建設ラッシュで、あちこちで建築中の建物を観たのだが、工事現場の足場は竹で出来ていた記憶がある。送迎の車の運転手から聞いた話だったのかもしれない。

 

ホテルへの道のり

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 浦東国際空港で重役たちが出てくるのを散々待たされた後、迎えの営業課長の案内でホテルへのタクシーに相乗りする。道すがら驚いたのは古い物と新しいもののギャップだ。

 古い建物はさながら日本の昭和初期。新しい物は当時(2002年)の日本とさほど変わらない。どんどん開発されていく最先端のエリアと、どんどん取り残されていく古い中国とが共存していた。

 

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上海 浦東国際空港 到着

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 成田を11時過ぎに出発した日本エアシステム便は現地の午後1時過ぎに上海に到着した。上海には浦東というのと虹橋という二つの国際空港があるが、当時の残っている写真からすると、天井から白い棒状のものが幾つも垂れ下がっているのが特徴的な浦東国際空港の方に到着したようだ。

 空港へはピックアップの為に若い営業課長がやってきていたが、同じ便に乗って来たらしい会社専務と関係会社社長の二人を待つことになる。アタッシュケース一個の私と違って大型スーツケースを持参してきている彼らはバゲージクレイムで散々待たされたのだ。

 出張は身分の高い者ほど後にやってきて、下っ端になるほど早目にやってきていた。部長階級の私は、ただ単に急遽代理となった為にビザ取得が遅れたので、専務等と同時期になっただけだった。

 

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