norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

それが答えだ ロケ地を巡る旅 2

4時半に家を出て八王子から中央高速に乗る。普段は八王子を16号線でそのまま通り抜けて圏央道に繋がる青梅まで行くのだが、この時の最初の目的地は山梨の須玉町、白洲町なので中央高速で須玉インターを目指す。 何せロケ地は須玉町と白洲町の何処かという…

それが答えだ ロケ地を巡る旅

単身赴任を初めて1年が経過した頃、子供達の夏休みに単身アパートを基地にして色んな場所を巡ることにした。その一番の思い出が当時確か放映が始まったばかりのテレビドラマ「それが答えだ」のロケ地を捜して廻る旅だった。ただ、この旅に出発する際に判っ…

赤城山スキー

私の単身赴任が始まった頃は、その単身アパートを基地にしてあちこち家族で遊びに出掛けている。その一つが赤城山スキー場だった。ちょうど娘がスキーを覚えたてで、何かにつけスキーに行きたがったのと、赤城山スキー場というのがとてもローカルな場所で小…

軽井沢 渋温泉の旅 8

湯田中では湯田中グランドホテルという宿に泊っている。当時の日記にはちょっと古くて狭かったが、それなりに雰囲気があってよかったと書かれている。しかし記憶にあるのは宿の窓から直ぐ前を流れている川が見下ろせたという位しかない。 翌朝、娘は母(私の…

軽井沢 渋温泉への旅 7

湯田中の街を皆で暫く散策した後、旅館に親を送ってゆき息子を預けて娘、妻と三人でごりん高原スキー場という所へスキーをしに行く。どうやって行ったのかもうすっかり忘れていたが、今調べてみると嘗て温泉街からロープウェイのゴンドラで直接スキー場まで…

軽井沢 渋温泉への旅 6

軽井沢から上信越自動車道を延々と走って湯田中の街に着いたのはお昼過ぎ位だったような気がする。湯田中の街にある温泉を渋温泉というのを知ったのもこの時だった。 初めて湯田中に来たのは小学校の中学年ぐらいの頃だった。湯田中というのはそこから信州の…

軽井沢 渋温泉への旅 5

宿泊したホテルというかロッジは予約したパンフレットには貸別荘パルコール村となっていたが、行ってみると鉄道村とあったり、名前もいろんな表記があって、貸別荘風の戸建てロッジもあったが、普通のホテルもあったりで、結局我々が泊まったのは貸別荘ロッ…

軽井沢 渋温泉への旅 4

軽井沢スキー場最後の一本は自分一人で滑らせてもらうことにしたので一番長いリフトを使ってみたら降りる方向を間違えてもう一度昇り直す羽目になる。おかげで約束の時間を30分ほど遅れてしまったが、それからすぐに北軽井沢にあるパルコール村という貸別…

軽井沢 渋温泉への旅 3

上信越道は峠付近の碓氷軽井沢というインターで降り、まっすぐ軽井沢プリンススキー場へ向かう。娘がその年覚えたばかりのスキーをどうしてもやりたいというからだ。人口ゲレンデのプリンススキー場は会社入社直後何度も目にしたが行ったことは一度もなかっ…

軽井沢 渋温泉への旅 2

高崎の新幹線口で両親を拾うついでに駅構内に入って高崎だるま弁当を購入してくる。高崎駅を出るとすぐに上信越道の高速に乗る。上信越道はこの時はまだ全線が出来たばかりだったと記憶している。会社に入ってから何度も軽井沢方面へはスキーなどで出掛けて…

軽井沢 渋温泉への旅

単身赴任することになった年の年末も三世代家族で旅行をすることになる。もう四回目の事で年末の恒例行事になりかけていた。この年選んだのは異色の組み合わせで一泊目が北軽井沢の貸別荘・パルコール村。二泊目は湯田中にある渋温泉の湯田中グランドホテル…

佐賀への葬儀参列出張 8

佐賀からの帰途の高速バスは結構時間ぎりぎりで、葬儀の最後の方になって弔辞が長くちょっとひやひやする。親会社から葬儀に参列していた知り合いの一人が帰りのタクシーに同乗したのだが、高速バスに間に合わない可能性を考えて途中の国鉄の無人駅で降りる…

佐賀への葬儀参列出張 7

福岡空港を出た高速バスは広々続く青空、広々続く緑の田圃の中を一路佐賀へ向けて快調に飛ばしてゆく。しかし風景は単調なのですぐに飽きて持参した島田荘司のミステリ「龍臥亭事件」を読み進める。 一時間ほどして到着した佐賀のバス停は高速道路の高架の上…

佐賀への葬儀参列出張 6

空港に着くと空港内の待合室にあるレストランで昼食を採ってから出ることにする。魚介のフライセット定食で何と言うこともないと思ったのだが、これが滅茶苦茶美味かった。海の傍だからなのだろうか。 そしていよいよ佐賀へ向けて高速バスで出発する。空港敷…

佐賀への葬儀参列出張 5

博多駅傍のビジネスホテルで一泊した次の朝、駅地下街に出てうに丼というのを出している店で朝食にする。これが滅茶苦茶美味かったようで、今まで食べた中で最も美味しいウニだったと当時の日記に書かれていた。 赤煉瓦館が開く時間を見計らって地下鉄に乗る…

佐賀への葬儀参列出張 4

その後、博多の中州の街を更に歩いて抜けると運河沿いの道に出た。ここには黄昏はじめた中で屋台が立初めていた。てんぷら屋、焼物屋、おでんや等々、さまざまな店が新鮮そうな魚介類を並べ、好きなものを調理してくれるというような屋台である。よっぽど食…

佐賀への葬儀参列出張 3

羽田から福岡空港まではあっと言う間だった。福岡空港は以前、長崎での結婚式参列の際にも使っているし、仕事上の関連工場もあって何度も使っている。もしかしたら国内の空港では羽田、成田に次いで多用している空港かもしれない。翌日佐賀へ向かう予定の高…

佐賀への葬儀参列出張 2

佐賀出張の為、前日の夜に出向先から出向元の会社のある街の実家へ戻る。翌朝、出向元の会社へ寄って32通の香典を預かり、羽田へ向かう。暑い盛りだったのでジーンズにポロシャツという軽装で、喪服を衣装袋に詰め他には丁度その頃読み始めたばかりの島田…

佐賀への葬儀参列出張

会社入社9年目に関東圏だが地方都市にある子会社の工場への出向を命じられ、単身赴任での生活が始まる。赴任して2箇月経たない頃に、上司で先に出向してきていた人の父上が亡くなったということで、会社代表で葬儀参列の為、九州の佐賀まで向かうことにな…

我が子 初めてのスキー体験 猿ヶ京 2

2時頃スキーを上り、珈琲とケーキのお茶をしてから再び三国峠を越えてその日の宿である猿ヶ京を目指す。ちょっと古っぽい宿の名前は忘れてしまったが、眼下に赤沢湖を見下ろす景観のいい場所で、まだ雪に埋もれていた。 食堂はスキー場のロッジみたいなお食…

我が子初めてのスキー体験 猿ヶ京

年が明けてすぐ、妻が生協のチラシにあった猿ヶ京温泉の宿が取れたので家族で旅行に行くことにする。会社に入ってすぐの頃、散々出掛けた苗場、浅貝スキー場のちょっと手前だった事を思い出し、娘についでにスキーを教えることにした。早朝早くに家を出て1…

再び弓ヶ浜 休暇村親子三代年末旅行

その年の年末には再び弓ヶ浜にある休暇村に宿を取って親子三代で年末旅行をしている。 昔の資料を整理していて、この休暇村のパンフレットが突然見つかった。自分自身がネット上に載っていないか探したりしていたのだが、自分の携帯ハードディスクのメモリの…

M戸川 自前キャンプ

県営キャンプ場を利用しての親子ふれあいキャンプは春先に行われたのだったが、その年の夏、我が家だけで自前キャンプに出掛けている。私自身が幼少期からカブスカウト、ボーイスカウトにずっと参加していたこともあって、私にとってキャンプというと、キャ…

親子ふれあいキャンプ体験

親子ふれあい合宿に参加し始めた頃、同じ市が主催するものだったが体験宿泊施設とは別の県営キャンプ場を利用しての親子ふれあいキャンプの募集があってそれにも参加してきた。 市内から車で20分ほど山間に入った場所にあって、駐車場からは更に20分ほど…

最後の親子ふれあい体験合宿 8

最後に参加したふれあい体験合宿は最初に参加した年の8年後だった。小学校低学年だった娘も既に高校にあがっていた。参加者の子弟は殆ど小中学生だったので、一緒に遊ぶ子供も居なくて可哀想だったのでこの時でふれあい体験は卒業にすることにした。 最後の…

親子ふれあい合宿 7

素焼き陶芸と燻製作りから一年経った翌年に、草木染めと再度素焼き陶芸の募集があったのでまた親子四人で参加する。 草木染めは、施設の近くに藍を栽培している畑があって、そこから藍の葉を採ってきて染め汁を作ってハンカチなどを染めるというもの。一緒に…

親子ふれあい合宿 6

杉板細工の回から暫く遠ざかっていたのだが、4年ぐらい後に素焼き陶芸体験と燻製作りという回の公募があったので久々にふれあい体験合宿に親子四人で参加する。素焼き陶芸は粘土を捏ねて縄文土器風のものを作り、それを預けて職員の人に窯で焼いて貰い二週…

親子ふれあい合宿 5

親子ふれあい体験では自然にふれるという趣旨のものの他にクラフト工作系の体験というのも結構あった。体験合宿に参加するようになって1年目ぐらいに杉板の工作というのがあった。薄い杉の板をボール盤鋸で好きな形に切り抜いて、バーナーで焦がして色を着…

親子ふれあい合宿 4

四回目となる体験宿泊教室は前回から3箇月後で、この回は竹細工作りだった。施設構内に竹林があって、立派な竹が何本も切り出されており、これらを講師に倣って糸鋸で切り取り、桶、ひしゃく、花瓶などを作るというものだった。作ったものは持帰って半年ぐ…