norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

札幌へ

網走ユースへ泊まった次の日はバスで一気に北海道を横断して札幌へ向かうことにした。はっきりと記憶には無いが、かなりの長い時間バスに乗っていた筈だ。途中では一箇所だけ観光名所として降り立ったところがある。 最初層雲峡かと思ったが、それは山梨の観…

網走刑務所

美幌峠から長い長い坂を下っていった先は美幌の街だ。この坂は15年ほど前になるが、ある自動車電子機器の開発を担当していた時期にその機器を搭載していた車が事故を起し、その電子機器の不具合が原因ではないかと疑われたのではっきりと記憶に残っている…

屈斜路湖 美幌峠

摩周湖を出た国鉄観光バスは次に屈斜路湖へ向かう。はっきりとした記憶ではないが、湖畔には降りてなくて延々周りの山麓を尾根伝いに徐々に登っていって、ほぼ頂上のような美幌峠でバスが小休止したのだった。 大沼、洞爺湖、支笏湖、阿寒湖、摩周湖と立て続…

摩周ブルー

摩周湖にはその当時第一と第二という二つの展望台があった。現在は第一と第三になっているとの事で、第二は無くて湖の裏側にもうひとつの展望台が新たに出来ているそうだ。 奇跡的に霧が晴れた第一展望台を出ると再び霧が立ち込めたが、不思議な事に第二展望…

摩周湖へ

阿寒湖ユースに泊まった翌日は、再び国鉄観光バスに乗って摩周湖を目指す。今突然思いだしたのだが、その国鉄観光バスにはバスガイドが乗っていたようだ。バスと言えばワンマンバスが当たり前になってからあまりに長い時間を過ごしてきたので、車掌やバスガ…

阿寒湖

釧路の炉端焼屋で昼食を採った後は、その日泊る阿寒湖ユースを目指すことにする。釧路から先は国鉄から離れて、暫くはバスの旅になる。といっても国鉄が運営する観光バスではあった。広大な釧路湿原を抜けて、途中タンチョウヅルの里のような場所も通ったと…

釧路の炉端焼き

釧路に行ったらしたかったことは、炉端焼き屋でししゃもを食べることだった。釧路教会を出てから漁港のほうへ向かい、海をみてから店を捜した。まだ昼間だったので開いている店は少なかったが、一軒だけ開いている店を見つけ、入ってみる。ししゃもを注文し…

釧路教会

帯広のユースを出たのは午前中だったと思う。それから先はただずっと釧路本線に乗って釧路を目指したのだったと思うが、途中特に記憶に残っているものはない。ただ、何となく車窓から見えていた北海道の田舎の風景は今でも何となく眼に浮かんでくる。とにか…

帯広ユースホステル

襟裳岬を観た後は、帯広のユースで宿を取ることにする。帯広は特に行きたかった場所という訳ではなかったのだが、次の目的の釧路方面まで足を延ばすには距離があり過ぎたのだ。 帯広という街は意外に都会だった。というより、北海道全体が田舎で自然に溢れて…

襟裳岬へ

北海道へ行ったらどうしても訪ねてみたい場所の一つが襟裳岬だった。きっかけは勿論昭和の名曲、襟裳岬だ。「北の町では・・・暖炉で・・・」どんな場所なんだろうと近づいていくだけでドキドキしていたのを思い出す。 当時は吉田拓郎の全盛期で、苫小牧で室…

アイヌ村

洞爺湖YHに泊まった後は、国鉄観光バスに乗り有珠山、昭和新山などを観光。更には支笏湖を巡った後、苫小牧からは再び国鉄に乗って襟裳岬を目指したようだ。 この旅の途中の何処かでアイヌ村を訪れている。長くそれは帯広から釧路へ至る途中だったと思い込…

湖巡りの旅

長万部の友人の実家で母君の手作り夕食を御馳走になり、海沿いの二階に寝させて貰った翌日丁重にお礼をした後、鉄道の旅に再出発する。 長万部からは函館本線から分かれて室蘭本線の方へ移る。目指したのは洞爺湖で、途中から国鉄バスに乗り換える。 旅行で…

長万部のかにめし弁当

前にも書いたのだが、大学に入学する前の予備校生時代に同じ教会で北海道出身の女の子と知り合う。その時、我が街に出来たばかりの短期大学の音大に単身でやってきていたので、学年的には同じだったのかもしれない。大学二年に上る際には向こうは短大なので…

大沼公園ユースホステル

大沼のユースホステルの記憶はあまりない。大沼の湖畔に駅があって、その近くは土産物屋などが数軒あるのだが、そこから少しひと気のない方へなだらかな坂を登っていった先に会ったような気がする。 夜、やはりまた珈琲が呑みたくなって、ユースを抜けて駅の…

北海道最初の宿

5年前にこのブログはバーチャル旅日記の形式を取って函館本線上を巡っていた。その中でこの北海道旅行も扱っていたのだが、当時勘違いしていた事が幾つもある。そのひとつは北海道旅行最初の宿が函館だったと思い込んでいた事だ。 おそらく当初の予定では最…

カトリック函館 元町教会

前日書いた記事を少し補足する必要があるかもしれない。カトリック函館 元町教会をケルン大聖堂を思い起させると書いてしまったが、それは大学生だった時代に書いた日記にそう書いてあったもので、大学生だった頃にケルン教会を訪れたこともない。会社に入っ…

函館の教会群

函館図書館を出た後、ガイドブックにある有名なハリストス正教会を観に行ってみることにする。ロープウェイの乗り口を通り過ぎると緑の屋根の白い尖塔が見えてくる。ハリストス正教会はギリシャ正教の教会だが、これとは別にカトリックの教会もあるらしかっ…

函館市立図書館

啄木の碑を過ぎて市電の駅へ戻ってきたが次の電車まで時間があることが分かり、函館公園のほうへぶらぶら歩く。公園はどうということはなかったが、感じのいい人二人と擦違う。その二人が公園の奥の建物から出てきたので、何だろうと行ってみると石造りの図…

啄木の碑と北海道の墓

立待岬からの帰り道にガイドブックに載っていた啄木の碑を観に寄ることにした。近くには啄木の墓もあった。 それを見ながら、函館の松方弘樹の話を思い返していた。立待岬へ向かう途中の坂道にあった墓を指して、「どうだい。本土の墓とはちょっと違うだろ。…

函館の松方弘樹 登場

函館は路面電車のある街だ。あまり考えずに歩きだして最初の停留所を通り越してしまっていたことに気づく。仕方なく次の停留所まで歩いてしまおうとしたら15分も歩く羽目になってしまった。 ガイドブックを見て市役所前という停留所から十字街というところ…

北海道への第一歩

摩周丸が函館の埠頭へ着いたのは、当時の日記によると11時20分頃とあった。4時間ぐらい掛かったことになる。 北海道への第一歩の感激を確かめようと思っていたのに、いざ連絡橋を渡って改札へ出ると、荷物をどこへ預けようとか何処を廻ろうかなどと考えてい…

いざ、北海道へ

上野発の夜行特急ゆうづるで目覚めたのは夜明け前の4時過ぎ頃だったようだ。隣のボックスで寝ていた人にボックス席の直し方を教えて貰う。段々明けていく青森近くの景色を二年前の記憶を辿りながら見比べていた。 7時半に青森駅に着くと、駅から出ることな…

青森までの夜行列車

大学生の頃の列車旅行と言えば、宿泊代、食事代を少しでもケチる為に、夜行列車で出発するのが常で、この時のゆうづる3号も夜の9時過ぎに上野を出発するので自宅で夕飯を食べてから出発している。更には次の日の朝食用のお握りまで作って貰って持参してい…

ゆうづる3号 青森行き

このブログは初期の頃、歩数計で前の日歩いた距離からJR時刻表を使って主要幹線上を旅するバーチャル旅行記として書いていた。2014年の9月から翌2015年4月頃まで東京を出発して北海道まで辿るバーチャル旅行を綴っていたので、その頃書いた記事…

憧れの北海道旅行

北海道は大学生の間に一度は行きたい憧れの場所だった。なにせ広いので、充分満足が行くまで廻りたければ一箇月は掛かる。そうなると旅費もそれなりに掛かるので、おいそれとはいけない。やっと行けることになったのは大学四年の最後の夏休み、木曽路へのド…

五右衛門風呂と島崎藤村

鳥居峠と鳥居隧道を抜けてY宿まで出掛けた次の日はもう帰ることになる。 N宿のH家で思いだすのは、五右衛門風呂を体験した事。実は五右衛門風呂はこの時が初体験ではない。この時より二年程前に、隣町のI市の郊外に棲んでいた友人宅へ寄らせて貰った折に…

鳥居隧道

当時の写真を見ると、N宿から鳥居峠を越えた次のY宿の駅まで車で行っていることが分かる。おそらく午前中に鳥居峠まで徒歩で往復し、午後辺りに車でY宿まで行ってみたのだろう。しかし鳥居峠越えの道は車では通れる筈がない。それでどうやっていったのだ…

誰も居ない鳥居峠

元脇本陣の二階部屋に泊めて貰った翌日は、Hさんの薦めで鳥居峠登頂を試してみることにする。N宿から鳥居峠へ至る道はそれこそ昔の中山道そのものだ。ところどころに石畳も残っていたように思う。1時間弱で頂上まで達することが出来た。峠には石の碑と鎮…

元脇本陣の屋敷

二泊させて貰った木曽路、旧中山道N宿のHさんのお宅は、時代劇に出てくるような街道筋の旅籠といった風情そのものの家だった。 江戸時代は脇本陣として使われていたそうだが、その後旅館になっていたらしい。私が訪ねていった時は、その家を継いでまだそん…

N宿への道

木曽路の旧中山道の宿場町N宿へ急遽引っ越すことになったHさんはその時はまだ独身だった。とはいっても、私からみれば母と姉の中間ぐらいの存在で、まだ浪人生だった時代にお金の無い貧乏学生だった私にお昼を奢ってくれたりとか色々面倒を見て貰った方だ…