2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧
747、ジャンボ機二階席での食事の後は、アイスクリームを断ってコニャックを頼む。 その後は窓を閉めて寝る時間となったので、3時間ほど寝る。暗い中、キャビンの後ろにいって、「赤いきつね」のインスタント麺を作ってもらう。 その後、トイレに立った…
デトロイトからの帰りの便は成田直行便でビジネスアップグレードが取れたようだった。私の席は同行のY、N両氏とは違っていて78Kという全然番号の違う席。Y氏の予想したとおり747ジャンボの2階席の窓際だった。747の2階席はエコノミーでは経験…
デトロイトの空港へは出発の約2時間前に到着する。ゲートインした後、免税店、お土産屋は大した物が無かったが、それでもモータウンショップというのがあって、ずっと前から欲しいと思っていたCDを見つけ2枚購入した。マービン・ゲイのベストアルバムと…
デトロイト四日目は 出張最終日。朝は5時少し前に目覚める。日本へ帰っての時差ぼけ防止の為、無理に寝ないですぐに起きることにする。風呂を使った後、テレビの映画を観て時間を潰すことにする。金髪の同窓生に憧れた男子学生が女装して女寄宿舎に入り、彼…
出張の最大の目的であるGMのプレゼが終わって3時過ぎに駐在員事務所に帰って簡単に復習をした後は、私自身は何もすることがなく只々事務所で所在なく時間を潰すことになった。 やっとの事で6時半になって、最後の夕食を採る為に日本食料理店、サクラに向…
GMのビルを出たら、小雪が舞い始めていた。こちらにきて初めての降雪だった。 ポンティアックからすぐのところのバーガーショップに入った。私は勝手がわからず、適当に言ったら、一番小さいチーズバーガーだけで、他の人はそれにポテトやら野菜やらをつけ…
GMへのプレゼは失敗続きだったかもしれない。最初がN氏の次世代システム。私はたまたまN氏から遠いところに座ってしまった。いろんな質問が出て、英語が苦手、というか殆ど出来ないN氏が全く答えようとせず、仕方なく私が代りにいろいろ答えていたら、…
ポンティアックのGMの事務所に朝、8時頃着く。何もかもが大きくて気遅れする。受付ででかい黒人のガードマンがカメラはないだろうなという。実は小型のデジカメをポケットに忍ばせていたのだ。ちょっとやばいかと思いなおし、実は忘れて持ってきてしまっ…
デトロイト三日目はもうGMでのプレゼ本番だった。GMのサイトはデトロイトの中でも幾つかあるのだが、この時訪れたのはポンティアックだ。GMのひとつの部門でもあり、地名でもあるようだ。駐在員の車で連れていって貰ったのだが、いま改めて地図を見て…
一日中、駐在員事務所で資料作りに缶詰になっていた夜は、レストランに行こうと言い出したのがもう夜7時になっていた。イタリアンで結構人気のある店らしく、先に着いたグループから携帯で20分待ちだというので、どうしようかと言っていたのだが、案内役…
2000年以前は海外出張というと、物見遊山的な部分もあるのが普通だったが、2000年以降はそういったものは一切なくなり、仕事をする為だけに出張時間を使うという風潮がごく当たり前になったように思う。 駐在員事務所に出たのは二日目からだが、朝か…
ホテルの部屋で電子メール接続で苦心した後、7時に再びロビーに集合して、再び駐在員I氏の運転するミニバン、クエストで食事に出掛ける。最初は典型的アメリカンがいいだろうというI氏の薦めで、リブステーキの店ということになる。60年代を模した店の…
ホテルにチェックインしてから夕食に待合せて出掛けるまでの間、少し時間があったので、ホテルの電話にPCを繋いで電子メールを試みる。 前回米国出張した際には、ホテルから国際電話で日本のアクセスポイントに直接繋いで難なく繋がったし、2年前の上海か…
デトロイトの空港で現地駐在員のI氏の運転でNOVI(ノバイ)という街にあるホテル、ダブルツリーへ連れていって貰う。 ノバイは現地駐在員事務所のある街で、このブログでも2017年7月初め頃の記事で紹介している、4年前の2000年の米国出張の際にも…
シアトルからデトロイトまで飛行は4時間だったが、快適なビジネスクラスの8時間に比べて、とても長く感じられた。時差ボケになるからと、なんとか頑張って起きていたが、同行した他のメンバー達はかなり寝てしまったようだった。 デトロイトに着くちょっと…
シアトル・タコマ空港からデトロイト・メトロポリタン空港までのフライトで隣の席だった海兵隊上り風の青年については昨日触れたが、もう少し別の同乗者たちにも触れておくことにする。 通路の反対側は当時人気テレビドラマとして放映されていたER緊急救命室…
シアトルからデトロイトへは米国の国内便ということになる。シアトルまでの8時間はビジネスコンバートで楽々だったが、デトロイトまでは勿論エコノミー。当時の日記には767の小型機ではと書いてあったが、真ん中に通路があって、左右三席ずつのレイアウ…
シアトルのタコマ空港へついて入国審査に並ぶことになる。国際線でのトランジットという扱いではなく、一旦ここで米国に入国し、ここからは米国国内線でデトロイトへ向かうという形になる。 当時の日記を見ると、パスポートチェックで、係官が金髪美人と東洋…
ノースウェスト便は成田を立って約8時間後、現地時間で朝6時40分にシアトルのタコマ空港に到着した。私は飛行機では寝れないタチなのだが、ビジネスクラスのゆったりしたシートのせいか、割とぐっすり寝れたようだった。 タコマ空港は略称シータック(SE…
同行のエンジニアのY氏とN氏を載せたノースウェスト便はほぼ定刻どおりに成田を出発した。Y氏とN氏は並んだ席だったが、私は彼らから6列ほど前で独り。遠慮なく機内の愉しみを堪能する。 ビジネスクラスのいいところは、出発前から飲物がサービスされる…
2004年の米国出張は、往きがシアトル経由、帰りがミネアポリス中継のノースウェスト航空のビジネスコンバート便だった。行先は勿論デトロイトということになる。 海外出張は、1970年代ぐらいまでは文字通りビジネスクラスを使うのが当たり前だった。…
2002年に上海出張をしてから暫くは海外出張の話は無かったのだが、2004年になって突然、米国出張の話が降って湧いた。この時も私が間接的には関係しない訳ではなかったが、直接担当しているプロジェクトでは無かったので、何の心の準備も無かった。…
上海出張編については今回で終わりにするが、当時の画像を見ていて二枚だけ最後に紹介する事にする。 冒頭の画像は上海空港から市内へ向かう高速道路に乗る時の料金所のものだ。現地の駐在員が話してくれたのだが、中国ではETCは成り立たないというのだ。…
イミテーションマーケットからホテルに戻って、皆はソフトドリンク、私はビールを頼んで喉を潤し、お昼になったところで、タクシーで空港へ向かう。セダンのサンタナのタクシーは荷物が入りきらなくてトランクを開けたまま紐で縛ってゆく。席は私が前の助手…
最終日はホテルのチェックアウトをした後、同僚のT氏の希望でイミテーションマーケットへ徒歩でゆくことになる。 そこは、アメヤ横丁のような場所で、安物の衣服や土産物が並んだ店でひしめきあっている。店員が口々に「ロレックス、ブルガリあるよ。ヴィト…
上海三日目の朝、二度目の朝食の後、独りで外へ出て散歩することにする。通りを何本か行って戻ってで30分ほど歩く。通りをちょっと奥へ入ると、貧民街の全く違う世界があるように見える。通りで、上海蟹、餃子、何やら判らない焼き物などをドラム缶の上で…
レセプションのあった翌朝も一人で朝食のビュッフェへ。今回はテーブルを全部回ってみて、出ているものを全てチェック。御粥など中国風のものを中心にする。御粥も中国果物も期待ほどは美味しくない。 玉子料理も作ってもらうが、「オムレツを。」というと、…
レセプションディナーパーティの後、同僚のT氏と一緒に行くという中国人営業のR嬢とにホテルの外でのマッサージに誘われたが固辞して部屋に戻る。 部屋の電話で電子メールをトライする為だ。当時はまだ電話回線を使って送信する時代で、ホテルの電話機の電…
上海出張二日目の夜は、現地クライアントを招待客として迎えてのレセプションディナーが開催された。我々は迎える側となるので、入口受付で客の胸に花を付けるのを手伝ってくれと部下の営業課長に言われたのだが、そういうのはコンパニオンに任せておけばい…
上海出張二日目のお昼は少しずつ交替で外に食べに出る。一日目は午後に到着したので、初めての昼食で、同僚のT氏、H氏と連れだって日本料理店へ行くことになった。天麩羅定食を頼んだのだが、味は日本のものと全く変わらない。 途中から横の席にコンパニオ…