2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧
ホテルに着いたのは夜遅くだったので、一夜明けて10階のホテルの窓から見る景色は初めてに近いものだ。夜はビルの灯りだけが見えていたのだが、高層ビルばかりではなく、結構緑も多いのが判った。もっともこの時は今から20年近く前の事なので、今では景…
チャンギ空港へ到着したのは深夜1時ということもあったのか、入国手続きも空いていてスムーズだった。バゲージクレイムでスーツケースを受け取りロビーへ出ると現地案内人がすぐに見つかり直ぐにバスのほうへ案内される。ツアー名もそこまでは日本の旅行代…
成田を19:10に出発したシンガポール航空のジャンボ747は定刻きっかりの7時間掛けて、シンガポールのハブ空港、チャンギ空港へ到着する。日本との時差は1時間なので午前1時に着いた計算になる。 妻は乗ってすぐに機内誌でエコノミーでもシャンパン…
1999年の旅行での航空会社は勿論、シンガポール航空。事前の調べでも客先好感度世界NO. 1という噂で期待の否が応でも高鳴るのだが、機内に入ってみて、なるほどと思った。乗ったのは最新鋭機のジャンポ747.エコノミーでも全席に8インチほどの易経画…
1999年の海外家族旅行は予約着手が遅かったこともあって、それまでの土曜出発日曜帰着という一週間9日間をフルに使うというツアーが取れなくて火曜出発、月曜着という5泊7日になってしまった。この年も自家用車で成田近くまで行って一週間パーキング…
1999年の海外家族旅行は予約で出遅れた為に難航するかに見えたのだったが、ビンタン島のホテルの洗濯も、延泊付きオプションも、シンガポールでの特約観光ツアーも、旅行会社側の希望とこちらの希望が示し合わせた訳でもないのにぴったりで、旅行会社の…
1999年の夏のバカンスの予約は昏迷極まるものだった。そもそも夏に家族で海外のリゾート地へバカンス旅行をするのはもう止めてはいいのではという空気が家族の中にも流れていた。長女が小学校を卒業して、そろそろ家族旅行というものにあまり賛同しなく…
昨日で1998年の旅行記はお終いにするつもりだったが、書き忘れていた事を思い出して、もう一言。 1982年に最初の海外旅行をしてからずっと、帰りのお土産には必ず洋酒を免税で夫婦二人分で3本ずつ買って帰るのが習わしだった。それがこの1998年…
1週間のノボテル・ブノアホテル滞在はあっと言う間に過ぎ去って最終日になる。空港へ向かう送迎バスは夜の9時半と割と遅い時間だったので、最終日も有効に過ごすことにする。午前中は皆でプールへ行き、午後は息子はキッズクラブ、妻と娘はホテルの近くの…
ノボテルブノアホテルのあった場所は先端に有名な寺院のあるブノア岬へ向かう道の途中にあった。滞在中の半日を使って、子供達がキッズクラブで遊んでいる間にこの道をブノア岬に向かって散歩してみた。 途中、手工芸品を売る店に立ち寄ってみたのだが、その…
カクテルパーティのあった次の朝のビュッフェで、曲当てクイズで優勝した赤毛の若奥さんみたいな西洋人に出遭ったので、「Congratulations for your winning last night!」と言ったら、私もせっていた一人だったので憶えていたようで「Oh! Thank you.」と笑…
1998年のバリの旅ではガレリア・ショッピングセンタというモールに二度ほど行っている。当時は大きな店といえば、ヌサドゥア地区ではそこしか無かったように思う。その8年前の1990年にヌサドゥアに初めていった時には、椰子の樹と瓦礫だけの何もな…
アジアのホテルのダイニングでは料理を盛り付けたテーブルにたいてい西瓜やメロンなどで飾り切りをした果物が置いてある。いわゆるカービングというやつだ。ノボテル・ブノアホテルではこのカービングの実演とお試し教室を開催していた。妻はこの手のものが…
ノボテル・ブノアホテルには、日本人女性スタッフが一人居た。正確に言うと、代表的な外国観光人客のそれぞれの言葉を話せるスタッフが最低限一人ずつ居て、舞踊ショーの前後で、英語、フランス語、スペイン語、中国語、そして日本語で、それぞれ解説をして…
マハーバーラタはラーマーヤナと並んで古代アジアの有名な叙事詩であると習ったのは確か、高校の世界史でだった。ギリシャ神話などと同じ様に昔の神々の物語、神話を吟遊詩人らが歌いつづっていたもののようだ。 このマハーバーラタをバリの伝統舞踊で初めて…
バリの観光ホテル特有の伝統芸能ショーは、このノボテル・ブノアホテルでも同様で、ステージの設けられたメインダイニング前の広場では毎日何がしらかのショーが繰り広げられていた。 遅くに到着した最初の夜は別として、二日目に早速ディナーショーを予約し…
前年のプーケット、ラグーナビーチクラブのホテルでキッズクラブの楽しさに味をしめた子供等は、最初から毎日のようにキッズクラブに行きたがった。大人もその間ゆっくり出来るので歓迎ではあった。 ノボテル・ブノアホテルのキッズクラブはゲッコークラブと…
この年の夏の一番の目的が息子の泳ぎということもあって、私と妻が代わる代わる付きっきりで息子の水泳につきっきりになっていたこともあって、娘のほうは自分で勝手に色々楽しんでいたようだ。宿泊ルームに近いプールサイドには、三つ編みをしてくれる女性…
バリへの旅は四度目という事もあって、観光という意味合いは大分薄れていた。この年の一番の目的は下の息子が泳げるようになる為の特訓だった。幸い宿泊ルームに近い側のプールは両サイドに大きな幅の階段上になった棚のような部分があって、少しずつ水深を…
ノボテルホテルはヌサドゥア地区の繁華街というと大袈裟だが、街中にあって、道路を跨いで東西二つのサイトに分かれていた。車が結構通る道路なので、ホテルの従業員である警備員が24時間立って道路を横切る宿泊客を案内していた。東側がプライベートビー…
この年のバリ旅行のホテルは1990年以来のヌサドゥア地区だった。1990年の時のプトゥリバリホテルはまだ新興観光地で、辺りは全部開発途上の造成地だらけだった。それから8年経ってヌサドゥア地区へ行ってみると、見事に観光地区化していた。この年…
またまた危うくブログ更新を失念するところだった。 1997年のプーケットの続いて1998年のバカンスとして選んだのは、四度目となるインドネシア、バリ島だった。1993年からタイとインドネシア・バリを交互に旅してきた。この年はずっと続いていた…
今日で1997年のプーケット旅行は終りにする。プーケット空港はこじんまりしていて、何となく懐かしい感じのする空港だ。やってきたのは1993年の時とで2回だけなのだが、何度も来た気がする。 飛行機はバンコクまでは例によってタイ航空だ。バンコク…
七日間滞在したプーケットのラグーナビーチホテルでの最終日は忙しかった。午前中二度目のヨット体験に挑戦し、その後プール。午前中の終りに二つ取ってあった部屋のうちのひとつだけチェックアウト。午後はスカッシュで汗を流してから部屋でシャワーを浴び…
ラグーナ・ビーチクラブでは、ヨット、カヌー、テニス、スカッシュ、ビリヤード等々、様々なアクティビティを愉しんだのだが、子供達にはやはり王道のプール遊びが一番だったようだ。 特に娘のほうは足ヒレを着けてシュノーケリング練習用の深いプールを泳ぐ…
プーケットのラグーナ・ビーチクラブというホテルがあった場所の近くには、いわゆるラグーンと呼ばれる湖のような環礁が幾つもあって、それぞれが運河で繋がれていて、各ラグーン毎に幾つかの大きなリゾートホテルが建てられていた。それらのホテル間を行き…
マリン・センターでカヌーを試した次の日は、ヨットに挑戦することにした。ヨットは会社に入ってすぐの年、会社にあったヨット部の講習会に参加して経験があった。ディンギーという二人乗りのタイプだったが、ラグーナ・クラブでも客に貸し出すのは主にこの…
海と環礁の間を遮る狭い幅の砂浜の所にはマリン・センターが設けられていて、ヨット、カヤック、カヌー、ウィンドサーフィン、ジェットスキーなどを貸し出していた。勿論、初心者向けの講習会も専門インストラクタが授けてくれる。この場所からは海側へも環…
インドア・テニスの出来る体育館の地下にはスクァッシュのコートが幾つか並んでいた。スクァッシュのコートを生で観るのは初めての経験だった。入ってみると、エアコンがギンギンに効いている。寒いくらいだ。勿論やるのも初めて。ルールもよく判らない。し…
ラグーナ・ビーチクラブはアクティビティの施設が豊富にあった。テニスコートはアウトドアで3面、インドアで2面ほどあった。タイは南国なので日中アウトドアでの数時間のテニスは結構きつい。体育館内のインドアはエアコンも効いていてなかなか快適だった…