norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

コマドリと朝食

またまた、ついうっかりとブログの更新を忘れてしまっていた。土日はお昼にお酒を呑むことが多いので、そのせいかもしれない。しかも昨日はお昼に陶板を使った焼肉をしたので、ワインの量もちょっと多かったかもしれない。 ラグーナ・ビーチクラブ・ホテルの…

朝の散歩

ラグーナ・ビーチ・クラブでは朝は朝食前にホテル内を家族全員で散歩する事にしていた。ホテルは環礁となっている湖みたいなところのほとりにあるのだが、環礁は外海のすぐ近くにあって、ほぼ接しているが直接外海と環礁は繋がっていない。それでホテルの建…

バーツ暴落

1997年は確かアジア通貨危機があって、その引き金となったバーツの暴落があった年だ。旅行時期とバーツ暴落の時期がどちらがどうだったかははっきり記憶していなかったが、かなり旅行代金で得したような気がしたので、バーツ暴落時期のほうが早かった筈…

デンのある部屋

ラグーナ・ビーチ・クラブホテルで我々が案内されたのは、内部で行き来が出来る続き部屋になっている二つのツインとダブルの部屋で目の前にラグーンの環礁が見下ろせる三階建て最上階の部屋だった。 事前に渡された旅行会社の案内にはデンのある部屋と書いて…

多彩なプール

ラグーナ・ビーチ・クラブというホテルはアクティビティが充実したホテルなだけあって、プールも色々趣向が凝らされていた。メインのプールは上下二階建になっていて、上のプールから下のプールへ向かってはウォータースライダーが付いている。また上側のプ…

ホテルとラグーン

ホテル名、ラグーナビーチクラブのラグーナはおそらくサンゴ礁を意味するラグーンの形容詞なのだろう。文字通り珊瑚礁で出来た環礁の脇にあり、ホテルの部屋の窓からは環礁が眺めおろせる。その環礁の中を観光客を乗せた四角い小型フェリーみたいな船が定期…

ラグーナ・ビーチ・クラブ・ホテル

1997年のプーケット旅行のホテルはラグーナ・ビーチ・クラブという名前のホテルだった。 かなり広めの敷地で宿泊棟、ロビー、メインダイニングなどがある建屋の他に裏手にはフィットネスクラブも完備しているジムや屋内、屋外のテニスコートが幾つもあっ…

1997年 プーケット往きの飛行機

昨日はブログの更新をすっかり忘れていた。なるべく毎日更新するようにしていて、何処かへ出掛けていて物理的に更新が出来ない日はあったが、忘れていて更新し損なったのは初めてのことだ。 タイへ行くのは三度目だった。最初の1993年はタイ航空。二度目…

1997年のバカンス旅行

1997年の夏のバカンス旅行は通算7回目となるが、選んだのは三度目のタイ、二度目となるプーケットだった。調べてみると、この年から旅行会社としてH.I.Sを使い始めていて、その後はずっとH.I.Sのお世話になっている。 H.I.Sが格安海外旅行業者として世…

雨季の突然のスコール

今日で1996年のバリ旅行については最終回としたいと思っている。以前の記事で1993年のタイ・プーケットの旅行が雨季に当たり、雨の日が多かったと書いたと思うが、考えてみればタイにしろバリのあるインドネシアにしろ同じ東南アジアなので7月から…

何度目かのバリ・ナイトショー

1996年のバリ旅行は三度目のバリだった。なので、夜ホテルで催されるバリの民族舞踊のナイトショーはもう大分馴染みになっていた。しかしバリの夜にライトアップされた舞台で、ガムランや笛の音、おどろおどろしい太鼓の音の中で演じられるバリ特有の舞…

クタ・ビーチのサンセット

1996年のバリ・パドマホテルは、1994年のビンタン・バリホテルと同様にバリの西海岸にあるクタ地区なので、ホテルのプライベートビーチは夕陽が美しい。クタ地区は数々のホテルが敷地を接して隣接しているので、各ホテルのプライベートビーチがずっ…

ホテルのプール遊び

1996年のバリ・パドマホテルでの滞在のメインイベントは何と言っても子供達のプール遊びだ。日本では何かと制約の多い公営プールと違って、禁止事項が殆ど無い。朝から晩まで好きなだけ泳ぐことが出来、子供達にとっては天国のようなものだ。その間、大…

ティワラ・デワタでの買い物

間違ってチャハヤ・デワタのライステラス見物に連れられていった後、スーパーのあるティアラ・デワタにも連れていって貰っている。息子はそこでバリとは何の関係もないリモコンのレーシングカーの玩具とガンダムの偽物みたいがフィギュアを買って貰ってご満…

ティワラ・デワタとチャハヤ・デワタ

1996年のバリは三度目だったが、確か二回目の時にタクシーをチャーターしてクタの市内にあるスーパーマーケットに買物に行っている。お土産用のTシャツだとか子供の玩具だとか、インスタントラーメンなどがとても安く買えて気に入ったので、三度目の時…

マス村での買い物

マス村では念願だったデヴィスリの木彫り像の他にもう一点購入している。それは木彫りのチェスのセットだった。しかも一つひとつの駒がバリの神々の像を模しているのだ。これは一目見て気に入って買ってしまった。バリのこの手の品物は値段があって無いよう…

マス村でのリベンジ

三度目のバリではどうしてもリベンジしたい事があった。それは二度目のバリの時に買い損ねた木彫りの女神デヴィ・スリの像を買うことだ。二度目のバリの時に観光バスでいろいろ廻った中に木彫り細工で有名なマス村というのがあった。そこで欲しいなと思った…

ホテルの蓮と石像

バリ・パドマ・ホテルは前日も書いているが、蓮の花がモチーフになっていて、ホテル敷地内の至るところに蓮池があった。そして蓮の花と共に、バリの神々を模った石像も至る所にさりげなく置かれていて、独特の雰囲気を醸し出していた。しかし、石像の中で一…

バリ・パドマ・ホテル

1996年のバリ旅行で利用したホテルはバリ・パドマ・ホテルというところだった。一昨年前のビンタン・バリホテルと同じクタビーチにあった。ロケーションも雰囲気も似ているので、1994年のと1996年のバリ旅行は記憶がすぐにごっちゃになってしま…

ガルーダ・インドネシア航空と事故

1996年のバリ旅行の際もガルーダインドネシア航空だったのだが、この年のガルーダは大変な年だった。旅行に出た7月末から数えて2箇月も経っていない時期に福岡空港で離陸失敗で炎上するという事故が起きたのだった。このブログでも以前に書いているが…

1996年 6度目の海外家族旅行

恒例となった夏の家族海外旅行、1996年は6回目で、三度目のバリ島旅行となった。使った旅行会社もエイビーロードで見つけた4年連続、5回目の信栄トラベルという旅行会社。成田へのアクセスは3回目となる自家用車での乗り付け。但し、この年から駐車…

夜間飛行での帰路 ユナイテッド航空

1995年のタイ、チャ・アムビーチの旅からの帰国はユナイテッド航空の夜行便となった。夕刻までサイアム・シティ・ホテルのラウンジで過ごした後、送迎バスに乗りバンコク空港にチェックインする。 私は夜間であっても飛行機では寝れないたちである。巡航…

出国までのサイアム・シティ・ホテル

チャ・アムからバンコクへ戻ってきて、サイアム・シティ・ホテルへやってきたのだが、帰路ではこのホテルには泊らない。帰国は夕刻の便なので、その時間までこのホテルのロビーで空港へのバスをただ待つだけということになる。ロビーでは相変わらず、タイの…

再びバンコク サイアム・シティ・ホテルへ

チャ・アムからの帰りは、あちこちに観光で寄った往きと違って直行で帰ったので、半日以上掛かった往きほどの時間は掛からなかったものの、バンコク市内はやはり大渋滞続きで、ホテルのほんの手前まできて、そこからが長かった。何とかサイアム・シティ・ホ…

つかの間の五日間

1995年のタイ旅行は8日間の旅程だったが、初日はバンコクのホテルまで到達するのがやっと。最終日は夜間便での日本への帰国なので実質タイを愉しむのは6日間。しかもバンコクに一泊するのでリージェントホテル滞在は実質五日間ということになる。つか…

テュクテュク

チャ・アム・リージェントホテルにはプールが大きく分けて三つあった。そのうち二つはホテルの宿泊棟から歩いて行けるところにある。三つ目だけは、ビーチ沿いに500mほど行ったところに離れている。そちらのプールには、付属して専用のレストラン兼バー…

夜中のプール・バー

海外に出掛けた時ぐらいしかやらないゲームがある。ビリヤードだ。日本にも無い訳ではないが、わざわざやりに行こうという気にはならない。海外のホテルだと極普通に一室設けられていることが多い。子供がゲームすることは普通禁じられている。キューを誤っ…

昼下がりのフィッシング

チャ・アム・リゾートホテルの裏にある巨大な池では釣りを楽しむことも出来る。ホテルのインストラクターが竿を用意してくれ、針、餌の付け方まで指導してくれる。池の中には鯉の仲間のような魚が居るらしいのだが、釣りをトライしてみた昼下がりの一時は、…