norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

怖い波頭

昨日は浪江を出て、桃内という駅を過ぎた。依然、原発事故特別警戒立ち入り禁止区域である。常磐線も勿論、不通のままだ。 原発事故の次の年ぐらいだったか、新潟の親戚に不幸があって、関越道を飛ばして葬儀に出掛けた。日帰りは厳しいので、ネットで柏崎に…

いちえふ

昨日は一昨日の到達点を双葉の手前と書いてしまったが、地図をよく見たら大野の間違いだった。昨日はその大野から一つ進んで、双葉を越え、浪江との丁度中間ぐらいまで到達した。双葉町、浪江町。原発関連のニュースで何度も刷り込まれるように聞いた地名だ。…

日本人、全員集合・・・?

富岡を出て夜ノ森を過ぎ、双葉の手前まで来た。福島第一が大分近くなった。 さて、昨日の続きで2011年のシンガポール旅行だが、まだまだ異常な出来事は起こった。帰りの便に搭乗する前の晩、ホテルの部屋に飛行機会社から一通のレターと電話があった。飛…

いざ、シンガポールへ

昨日は竜野から僅かに一駅分、隣の富岡までやってきた。 あの時は異常な事だらけだった。地震発生からの一週間、会社のホールに設置された地震対策本部で、一日三回開催される対策連絡会議に出ていたので、いろんな事を知る事が出来た。ガイガーカウンターの…

帰国難民

昨日は広野、木戸と過ぎ、竜田の手前までやってきた。依然として常磐線の復旧していない区間だ。 2011年3月、東日本大震災。あの時は関東地方に棲んでいる私自身の身の周りでも色々大変だった。地震発生から一週間、会社の事務所には私一人以外は誰も出…

東北の事、ちゃんと知ろう

昨日は四ツ倉から出発して久ノ浜、末続と過ぎ、広野の一歩手前まできた。本バーチャルの旅はJRの路線営業キロ数を元にして到達地点を求めているのだが、この辺りのJR時刻表を観ていて唖然としてしまった。 広野から先は常磐線は繋がっていないのだ。時刻…

ルマン参戦初年度

昨日はいわきを出て草野を過ぎ、四ツ倉という所まできた。 この辺りに関しては特に話題もないので、昨日の続き。冒頭の画像は1987年のルマン24時間耐久レースの日産応援チラシ。写真はおそらく前年の物を使っているのだろうから、日産の参戦初年度のも…

ルマン24時間耐久レース

湯本を出て、内郷(うちごう)駅を過ぎ、いわきまで到達した。 いわきと言えば日産いわき工場を思い出す。隣にはもう無くなってしまったが、日立に吸収合併される前のアツギユニシアという会社が隣にショックアブソーバーの工場をほぼ同じ時期に建てていた。…

常磐ハワイアンセンターとフラガール

昨日はとうとう北海道行きに出発してから初めて1万歩を下回ってしまった。ふと真夜中過ぎに目を覚ますと歩数は7千歩台で止まってしまっていた。 駅としては植田を出て、泉を過ぎ、湯本というところの一歩手前である。 湯本という位だから、温泉でも出るの…

勿来の関

大津港を出発し、いよいよ茨城県を出て福島県に入る。駅としては勿来(なこそ)を過ぎて植田に届く。 勿来を詠んだ百人一首の句があったような気がした。 滝の音は絶えて久しくなりぬれど、なこそ流れてなほきこえけれ 大納言公任 しかしよく調べてみると、…

岡倉天心・六角堂

磯原から出て、一駅分大津港駅までやってきた。 ここには海に面した所に、岡倉天心が建てた六角堂がある。いや、あったというべきかもしれない。あの大震災の大津波で土台から上が浚われたのだ。それから一年で寄付によって再建されたという。 岡倉天心はて…

線路はつづくよ、どこまでも・・・

高萩を出て、南中郷、磯原と過ぎた。 南中郷にも廃線となった路線があったようだ。西側のほうに石炭鉱山が嘗てあり、石炭の積み出しを行う線路が伸びていたそうだ。 線路は続くよ、どこまでも~。昭和の時代に産まれた世代ならおそらく誰もが知っている歌だ…

人名と地名

日立駅を出て、小木津(おぎつ)、十王と過ぎ、高萩の一歩手前まで来た。 この辺りもまだ日立城下町のようだが、日立金属関連の工場が続く。日立金属と言っても、元は日立電線という会社で、つい昨年に日立金属に吸収合併になっている。日立金属も日立電線も…

日立発祥の地

大甕を出て、常陸多賀を過ぎ日立市日立駅までやってきた。 日立駅へは一度だけ降り立ったことがある。日立城下町の中にあって日立市、日立駅というからにはさぞかし大きな街で大きな駅なのだろうと思っていたのだが、意外とそうでもない。 日立駅は元々は助…

日立大甕工場

昨日は東海から出発して大甕(おおみか)を過ぎた。 大甕も普通はなかなか読めない駅名だろう。そのせいか、おおみかとか大みかとか、平仮名を交えた表記が多くなったようだ。 日立大甕工場は大甕の駅から真っ直ぐに海に向かって緩やかな坂を降りていったと…

日立チェーンストール

昨日は水戸を出て、勝田、佐和と過ぎ、次の東海まであと2kmという所まで来た。 この辺りは日立製作所の城下町と言ったところだ。殆どの駅に駅名を冠した工場がある。正確に言えば、工場に対して同じ名前の駅は必ずしも最寄駅という訳ではない。佐和工場、…

あの人は今・・・水戸泉

いよいよ水戸に到達した。 水戸と言えば、まずは偕楽園だろう。偕楽園駅という、不定期にしか使われない臨時駅があるという。勿論、梅の時期なのだろう。 偕楽園の梅は観に行ったという記憶は一度だけだがある。メーカーさんの接待で、今はちょうどいい時期…

あわびうに飯

昨日は友部を出て、内原という所を過ぎ、赤塚という駅まで来た。水戸まではあと一歩である。市も笠間市から水戸市へ入った。 常磐線はずっと北上していたが、友部を過ぎるとぐっと東に折れてどんどん海に向かってゆく。 ひたちなか市へスーパーひたちを使っ…

スマートな名前

岩間から友部へと一駅だけ進んだ。 昨日の記載で、ポンティアック・カマロなどと書いてしまったが、何か違うと思って調べてみたらカマロはコルベットと同じくシボレーだった。ポンティアックの代表選手はトランザムだ。フォードの代表もサンダーバードと書い…

筑波(コルベット)

昨日は石岡を出て、羽島から岩間の手前までやってきた。東京から東北本線沿いに北に向かうと石岡と同じような距離のところに石橋という駅がある。そのすぐ隣には真岡(もおか)という駅もあるので、常磐線の石岡とすぐごっちゃになってしまう。 この辺りは筑…

黄金律・ゴールデンルール

昨日は土浦から石岡までやってきた。 一昨年になるが、石岡出身の部下が、土浦の女性を娶ることになって、私が主賓で披露宴に呼ばれることになった。昔はよく、人生で三度は仲人をする機会が巡ってくると言われていた。生涯結婚しない人も増えてきた現代では…

四大家魚

昨日は荒川沖を出て、いよいよ霞ヶ浦の西端、土浦までやってきた。 霞ヶ浦は言ったことがある筈なのだが、殆ど記憶にない。霞ヶ浦というと思い出すのは、アオウオという巨大な、どちらかと言えば気味悪い大魚だ。妻の知り合いのお宅で飼われていたのを覗かせ…

牛久大仏

このブログは毎日1万歩以上歩くことのモチベーションの為にやっているような所もある。今年の初めから始めて、つい先日、とうとう一万歩を超えられない日が5日も出来てしまった。雨と暑さと強い日差しが主な原因だが、長崎到着から北海道へ向けての出発前…

高崎観音と駅弁

昨日も何とか1万歩を超え、佐貫というところを過ぎ、牛久の手前まできた。 さて、牛久だが、確かここには観音像があった筈と思いついた。調べてみると観音像ではなく、大仏だった。観音像と思い込んだのは、スリムな背の高さだったようだ。大仏というと、ず…

デッドセクション

昨日は我孫子を越え、天王台、取手と過ぎて藤代の手前まで到達した。 我孫子というのは嘗ては難読駅名で、国鉄の入社テストにも出たことがあるそうだ。しかし現在では千代田線、更には小田急線などの直通乗り入れにより、様々な駅でのアナウンスと行先表示に…

東武博物館

昨日は松戸から柏を過ぎ、我孫子の手前までやってきた。 この辺りはJR常磐線以外では、東武鉄道が網目のように張り巡らされている。東武沿線はあまり馴染みがないが、僅かに東武伊勢崎線を始点から終点までは乗った憶えがある。東武伊勢崎線はいつのまにか…

小菅・東京拘置所

(スーパーひたちにて隅田川を越える) 北帰行第一日目は北千住までだったが、ここから荒川を越え、小菅を過ぎ松戸の先まで到達した。 大学生で旅立った日は、日記によれば某年9月1日だったようだ。その当日の昼にJRのみどりの窓口がある駅まで切符を買…

いざ、北海道へ・・・

いよいよ北海道へ向けた旅に出る。北海道の何処を目指すかはまだ決めてない。取りあえずは大学生の際に辿った常磐線沿いに北へ向かう。 北海道までゆくには、東北本線経由のはくつるというのと、常磐線経由のゆうづるというのがある。いや、嘗てあった。常磐…

浅田次郎・一路

この夏、とうとう浅田次郎氏の一路という作品を読み終えた。といっても上巻だけなのだが。 2箇月前、図書館で予約を入れて確か15番目ぐらいだったと記憶している。それがつい先日やっと順番が廻ってきたのだ。ほぼ一晩で読んでしまった。 一路は以前にも…

大浦天主堂・今昔物語

大浦天主堂の写真が出てきた。30年か40年ぐらい前のものだ。文明堂のカステラの看板が目に付く。そう言えば、あの頃は観光地というと必ずフジカラーの緑の看板があったものだ。フジカラー、サクラカラー、そしてコダックが三大フィルムメーカーだった。…