norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

関門海峡を越える

とうとう関門海峡を越えて門司、小倉を過ぎ、西小倉の先まで到達した。 関門海峡を初めて越えたのは、幼年期に母方の実家があった横浜へ里帰りした時。次は小学校一年まで棲んでいた北九州から関東へ引っ越した際に渡った時で、後は大学生の時に長崎への一人…

関門海峡

昨日は新下関から山陽本線沿いに下関を越えるところまでやってきた。 関門海峡を渡るには、山陽本線の通る関門鉄道トンネル、山陽新幹線が通る新関門トンネル、国道2号線として車両が通行する関門トンネル、それに付随する形の人道、そして関門橋がある。こ…

日本と台湾

(ブリヂストン ロードマン) 小月(おづき)を出て長府(ちょうふ)を超え、いよいよ新下関までやってきた。 新下関は山陽新幹線で関門トンネルを越える前の最後の駅である。新下関を出てすぐに新幹線はトンネルに入る。しかし関門海峡を越えるのは暫く本州…

昭和の自転車狂

昨日は厚狭駅(あさえき)を出て埴生駅(はぶえき)を過ぎ、小月駅(おづきえき)を越えた。この辺りの駅はいちいちふり仮名を振らないと読めない。 小月の駅から海岸線のほうへ向かったところに海上自衛隊小月航空基地がある。ここは飛行の基礎教育を行う基…

三年寝太郎

昨日はかろうじて1万歩に達した。このところ日差しが強く暑さも激しいので早朝の一時を逃してしまうと、歩数を稼ぐのが難しい。駅としては小野田駅から一つ進んで厚狭駅(あさえき)に達した。厚狭駅は山陽新幹線も停まる駅で、他に山陽本線と美祢線が乗り…

日本の成長を支えてきたセメント企業 【訂正版】

昨日は厚東から宇部を過ぎ、小野田までやってきた。 我々の年代では宇部、小野田と言えばすぐにセメントと浮かんでくる。よっぽど子供の頃から刷り込まれてきたのだろう。しかし、現在、宇部セメントとか小野田セメントというのを観る機会は全くと言っていい…

日本を作った男たち

昨日は本由良から一駅だけ進んで、厚東駅(ことうえき)までやってきた。 この辺りでは特に話題もないので、山口県出身の有名人について調べてみた。すぐに思い浮かぶのは前述の高杉晋作を始めとする幕末の志士たちだろう。他に吉田松陰、久坂玄瑞などが思い…

秋芳洞から宮部みゆきへ

新山口から出て、嘉川を過ぎ、本由良という所までやってきた。新山口からは秋吉台、秋芳洞へ出ることが出来る。この地方の定番の観光地である。北九州から適度な距離にあって、北九州に住んでいた幼少期、高校修学旅行、大学生の故郷を訪ねる旅での三度訪れ…

ザビエル記念聖堂

いよいよ新山口駅まで到達した。あれ、山口駅は?と思ったら、山口駅は山陽本線沿いではなく、新山口駅から分かれる山口線の途中にあった。山口駅は県庁の最寄駅ではあるのだが、乗降客の多さでは新山口駅のほうが山口県内で最大とのことだ。新幹線も停まる…

錦帯橋ふたたび

昨日は17千歩を超え、14kmを稼いだが駅としては防府を超え、大道までと、二駅しか進んでいない。 防府は大宰府のような防人の国という意味かと思ったら、周防国の国府を縮めただけだという。しかし元の周防という国名には国防の意味もあったのだろうと…

滝廉太郎 vs 山田耕作

昨日は戸田を出て、富海(とのみ)という所まで来た。一駅間距離があり、一駅分しか進んでいない。 萩と津和野はセットで案内されると前々回書いているが、高校時代の修学旅行でもその両方を訪れている。萩については当時の画像は残っていないが、指月城(し…

長新太 vs 和田誠

昨日は徳山から福川(ふくがわ)を経て戸田(へた)という処まで来た。 前々日に今江祥智という人の児童文学、山の向こうは青い海だったを紹介した。この作品が愛読書になっているのには、挿絵を担当されたのが長新太氏だったという事も大きい。単純な線のみ…

萩と津和野

田布施を出て、徳山というところまで来た。 このブログはJRの時刻表の営業キロというのを使って、毎日歩いた歩数で何処まで到達したかを調べている。他に換算キロというのもある。これは私鉄などからの乗り入れで料金体系が異なる路線とで料金を決める際に…

今江祥智・山の向こうは青い海だった

昨日は柳井港から出発して、田布施というところまできた。 ずっと広島を歩いていると思っていたが、何時の間にか山口県に入っていた。何時からかと調べ直すと岩国ひとつ手前の和木駅辺りからもう山口なのだった。山口と言えば高杉晋作を話題にしなければなら…

宇野千代・おはん

神代から出て、大畠を過ぎ、柳井港までやってきた。 何処かで宇野千代の名前を観た。遡って調べてみると岩国駅だった。この女流作家の出身地だった。岩国市営バスの中に、おはんバスというのがあるそうだ。おはんは宇野千代の代表作で、1984年に市川昆監…

基地をみながら

南岩国を出て、藤生(ふじゅう)、通津(つづ)由宇(ゆう)と過ぎ、神代(こうじろ)という駅までやってきた。 岩国を過ぎると、海岸線に基地がある。米軍海兵隊基地と海上自衛隊岩国航空基地だ。今、国会で盛んに集団的自衛権行使容認問題が議論されている…

錦帯橋の想い出

昨日は和木から岩国に入り、南岩国までやってきた。 岩国は勿論あの錦帯橋のあるところである。こちらも高校の修学旅行で、車内泊の後の最初の夜を、ライトアップされた岩国城と錦帯橋の見える古い旅館で過ごしている。 岩国駅には忘れられない思い出がある…

宮崎哲也氏と・・・

大野浦を出て、玖波(くば)、大竹と過ぎて、和木というところまで来た。対岸にはまだずっと宮島が見えている筈だ。 広島といえば、少し前までは盛んに話題にされていた交響曲、ヒロシマ。その後どうなったのだろう。このヒロシマの著作料については、もうひ…

日本三景

昨日は阿品を出発して宮島口を過ぎ、前空、大野浦というところまで到達した。 宮島口からはフェリーのような船が宮島へ向けて出ていたのを記憶している。宮島へは二度ほど渡っている。一度は何度も触れている高校の修学旅行だったが、もう一度は何の機会だっ…

吉田拓郎

西広島から出発して新井口、五日市、廿日市(はつかいち)、宮内串戸と過ぎて、阿品というところまでやってきた。この辺りは駅と駅の間隔がまた短くなってきた。五日市、廿日市と市が付く駅が続くが、五日市は広島市内 廿日市は廿日市市で、違う市に属してい…

廃墟の鳩・タイガース

いよいよ広島市内に入った。広島駅を過ぎ、平和公園を大きく迂回するように横川(よこがわ)を通過して、西広島に至る。 広島には最初に高校の修学旅行で来て、以降会社の出張で何度か訪れている。冒頭の絵は修学旅行のすぐ後に描いたバスの車窓から観た原爆…

MAZDA・・・

MAZDA K360 昨日は中野東、安芸中野、海田市、向洋、天神川と通過していよいよ広島駅の一歩手前までやってきた。 途中の向洋(むかいなだ)駅はさほど大きな駅ではないが、マツダの本社工場の最寄駅だ。 職業柄、いろんな自動車メーカーとは付き合いがあった…

曾祖父の故郷

昨日は八本松を出て、瀬野を過ぎ中野東までやってきた。八本松は山陽本線で一番標高が高い駅とされている。またこの八本松と次の瀬野の間は有名な急勾配があって、嘗ては上り線は補助機関車を付けて登っていたそうだ。八世以山(やせいざん)という登山の名…

地酒

昨日は西条駅を過ぎ、八本松というところのすぐ手前までやってきた。 西条というのは、何故か酒蔵がとても多いところだ。しょっちゅう酒まつりが開かれているそうだ。 旅をすると、その土地の酒を試してみるのが楽しみだ。特に最近、日本酒の良さが判るよう…

青山繁晴・ぼくらの祖国

白市駅を出て西高屋駅とその次の西条駅の真ん中辺りまで来た。 西高屋には近畿大学の工学部キャンパスがある。近畿大学と言えば、近年学生の人気ランキング一位を誇る大学である。近畿大学を一躍有名にしたのは、近大マグロだろう。完全養殖によるクロマグロ…

CC・ウォーター

河内から入野を越え、白市駅まで3kmというところまで到達した。白市駅は電車での広島空港への入口である。空港アクセスバスが発着しているそうだ。昨日の河内は距離的には空港に近いものの、峠を越えなくてはならない。山陽本線はこの峠の手前の谷間を縫…

研究発表講演会

昨日は本郷駅から出て、とうとう次の駅、河内駅まで到達出来なかった。1万歩は超え、8.8kmは稼いだのだが、それでも河内駅にはまだ5km程ある。ここの割と近くに広島空港がある。 広島空港は一度だけ使った事がある。90年代の終り近く、私の同僚で…

しまなみ海道

昨日は三原駅から隣の本郷駅までやってきた。この辺りも一駅区間の距離が結構長くて、一日一駅がやっとだ。 この辺りでは話題も無いので、少し離れて本州と四国の間を結ぶ道路について触れてみる。本州から四国へ道路で渡るのに、今では三通りのルートが出来…

繊維業界を牽引してきた日本

(三原城古図) 昨日は尾道を出て、三原というところまでやってきた。三原には新幹線が停まる。しかも在来線と同じ駅である。昔、岡山と広島の間に新幹線の駅を作るのにどうするかということで、尾道とこの三原で誘致争いがあったそうだ。結局土地の買収がし…

時をかける少女

昨日は17600歩を超え、とうとう尾道までやってきた。尾道は未だ訪れたことが無い場所だが、是非行ってみたい場所だ。出来れば足腰が丈夫なうちに訪れたいものだ。 尾道は大藪宣彦監督が何度もロケ地として使った場所だ。大藪宣彦尾道三部作というのがあ…