norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

皇女和宮親子内親王

昨日は11000歩とちょっと。中津川を出て恵那というところを通過した。この中央本線沿線に恵那という街があって、山一つ越えた天竜川、飯田線沿いに伊那という街がある。何となくどちらかが陶器の街だったと思っていたが、どうも違うようだ。 陶器と言え…

落合川

昨日は13000歩以上を稼ぎ、坂下から落合川を通過し、中津川の先までやってきた。落合川辺りで馬籠のほうからやってくる旧中山道と国道19号の中山道が再び合流する。旧中山道が木曽川に落ち合うので、落合川というのかと思ったら、旧中山道沿いに流れ…

駄賃馬稼?

南木曽を出て、田立を過ぎ坂下というところまでやってきた。田立から坂下の間で長野と岐阜の県境を越える。いよいよ名古屋も近づいてきた。相変わらず中山道、国道19号、そして木曽川沿いの中央本線だが、旧中山道を歩いていれば、妻籠宿を出て、馬籠峠に…

妻籠宿入口

十二兼から出立して南木曽(なぎそ)を越えた。 南木曽は妻籠宿、馬籠宿の入口である。つまりはここから中山道は旧中山道と別れ、中山道19号線は木曽川沿いを進み、旧中山道は馬籠峠を越える別のルートを辿ることになる。普通に考えれば、川沿いに街道が進…

1日中、山道・・・

須原を出て、大桑、野尻と過ぎ、十二兼(じゅうにかね)という所の一歩手前である。 東海道の時に、出発してから54日目ぐらいに京都に到達し、ああそれで53次というのだなと納得したのだった。しかし冷静に考えてみれば、宿場が53あったというだけのこ…

ゆっくり走ろう・・・

上松から倉本を過ぎ須原というところまできた。 画像は40年近く前の撮影のもので、奈良井の先の藪原の駅のようだ。背景のSLは当時使われていた筈はないので、展示物なのだろうが、山の中の小さな駅でわざわざこの場所までSLを観に来る人もそう居るとは…

浦島伝説

昨日は一万歩とちょっとで、一駅分の上松まで来た。 上松と言えば、有名な寝覚ノ床がある。30年前の旅行の際にも車を停めて降りてみた。寝覚ノ床は浦島伝説に所縁があるそうで、浦島太郎が目覚めた場所だそうだ。海からは随分遠くて不思議な気がした。 浦…

鳥居峠・・・

宮ノ越、原野と過ぎて、木曽福島までやってきた。 奈良井を出てすぐに鳥居峠を越える。ここは奈良井に泊めて貰った過去二回とも登っている場所だ。ごつごつした粗い石畳の細い山道がずっと続いていて、誰も居ない峠に出る。石の鳥居を越えると鳥居峠を示す石…

奈良井宿

昨日は木曽平沢を出て奈良井宿に到達。更に奈良井と次の藪原の間にある鳥居峠も越えて宮ノ越の一歩手前というところ。 奈良井には、古くからの知り合いが居る。江戸時代からこの宿場で脇本陣を務めてきた家の末裔である。その方のはからいで、嘗て旅籠であっ…

木曽路

日出塩を出て、贄川(にえかわ)を過ぎ、木曽平沢に至る。洗馬辺りからずっと谷川沿いを行くことになる。川の名前は所々で変わるようだが、いずれは信濃川に合流するようだ。この川沿いに中央本線と中山道である国道19号線が併行して進んでゆく。分水嶺は…

木曽駒

塩尻からいよいよ木曽路に入る。同じ中央本線ではあるが、東京から塩尻までは中央東線と呼ばれ、塩尻から名古屋までは中央西線である。今では中央東線から中央西線まで直通で走る電車は臨時貸切車両などを除いて無いという。東京から来ても、名古屋から来て…

塩尻峠

昨日は岡谷を出て塩尻の手前まで到達した。中央本線はトンネルで一気に峠の向こう側へ出るルートと俗名「大八廻り」という辰野駅を経由するV字曲がりで峠を迂回するルートがあるのを今回初めて知った。中山道行脚は当然のことながら峠を歩いて越える。塩尻…

あずさ2号

茅野を出て、上諏訪、下諏訪と通過し、岡谷の一歩手前まで来た。 小淵沢から乗り換えた中央本線はずっと国道20号線に併走するように走っている。所謂甲州街道である。路線がなく、小諸から中山道とは離れて小海線で大きく迂回したのだが、岡谷あたりで漸く…

蓼科高原

昨日は1万3千歩を稼ぎ11km余りを進んだが、駅としては一駅の茅野を過ぎただけだ。この辺りも一駅間が結構距離がある。 茅野は蓼科高原別荘地の入口になる。一昨年、会社入社時の同期だった一人が、突然蓼科高原に山荘を買って移り住むことになったと便…

菜穂子・・・

一週間ほど前の投稿の際に、辛夷の花の画像が見当たらなかったので、雰囲気だけ近い車窓の画像で代用した。つい先日、いつもの散歩コースで辛夷の花を見つけたので遅れ馳せながら今回載せてみる。辛夷は白木蓮と見分けがつかないとよく言われるが、その場所…

マディソン郡の橋

昨日はとうとう小海線で小淵沢まで辿り着き、中央本線に乗り換える。小淵沢の次の駅、信濃境にまで到達した。信濃境という駅名で、実はひとつ手前の小淵沢が長野県ではなく、山梨県であったことに気づかされた。小淵沢はしかも、小淵沢町ではなく、平成の大…

八ヶ岳

甲斐大泉を出て、隣の甲斐小泉を過ぎたところ。もうじき小海線を辿る旅も終わりに近い。この辺りは一駅、一駅の間隔が広いようで、一日に大した数の駅を越えることが出来ない。 八ヶ岳を見ると、ああ懐かしい風景だなと思う。別に八ヶ岳の麓に棲んだ事がある…

80年代総括

野辺山の先から出発して、清里を越え甲斐大泉の手前までやってきた。 清里は勿論訪れたことがある場所だが、写真は残っていない。清里という時に、ほんのり気恥ずかしいものを感じる。 清里がもてはやされたのは、80年代の前半頃ではなかっただろうか。あ…

吉永小百合さん

昨日は気合が入って15000歩を超えた。距離にして13km余り。佐久広瀬というところから出発して野辺山を越えた。小海線に乗ったことがあるかどうかおぼつかなかったが、野辺山駅が日本の鉄道駅としては最高標高であるというのを見て、思い出した。最…

千曲川旅情

松原湖を出て、佐久広瀬というところまで到達した。この辺りの小海線は国道141号線と併走している。3日前に使用した画像の小海線車両に若干違和感があったのだが、架線とパンタグラフがないせいだと気づいた。調べてみると、小海線は全線で非電化路線な…

それが答えだ

小海線の小海を越え、松原湖のちょっと先まで到達した。 小諸、小淵沢間を結ぶ路線が、途中駅の名を取って小海線と名乗るのは何故なのだろうかと思っていた。山中の一大都市という訳でもない。沿革を調べてみたら、やっと判った。全線が開通する前、小諸から…

佐久と鯉

昨日は高岩というところまできた。龍岡城、臼田、青沼、羽黒下、海瀬、八千穂、そして高岩である。全くと言っていいほど馴染みのない名前の駅ばかりだ。小海線には確か一度だけ乗ったことがある筈だが、小淵沢から清里か野辺山までだった気がする。 小海線に…

小海線と中山道

小諸でしなの鉄道から別れて小海線に入って龍岡城というところまで到達した。地図で確認するとどうも中山道はこの辺りから小海線と離れて、国道142号線で西に向かうらしい。小海線のほうは更に南下し、八ヶ岳山麓で漸く西に向かうようだ。 主要五街道と、…

信濃路 辛夷の花

小諸にて、しなの鉄道を小海線に乗り換える。小海線は八ヶ岳高原線とも言うようになったらしい。何時からのことだろう。昨日は佐久平までやってきた。 中山道も小諸からは国道18号線と別れるようだが、何処を通っているのかまた見失ってしまった。 私が初…

いざいきめやも

信濃追分を出て御代田、平原と経由し、小諸まであと一歩のところまで来た。軽井沢から信越本線に復帰したと思っていたが、JR時刻表をよくみたら、信越本線ではなく、しなの鉄道という第三セクターの経営によるローカル線であることに気づいた。そう言えば…

油屋旅館

昨日は1万5千歩まであと一歩というくらい歩いてしまって、一気に軽井沢を超え、中軽井沢、そして信濃追分も越えてしまった。 軽井沢からは峠越えが途切れてなくなってしまった信越本線が再開する。駅にはまだ古いホームが残っている。どことなくよく見る感…

碓氷峠越え

横川を出て碓氷峠をひたすら登る。昨日は東京から144km地点。軽井沢まであと4kmほどだ。 碓氷峠は、その昔旧道をバスで越えたことを記憶している。その当時はバスも非力で、一気には登れず、途中のドライブインで休憩していた。オーバーヒートして乗…

峠の釜めし

横川と言えば誰が何と言ってもおぎのや、峠の釜飯だろう。これを何度食べたか知れないし、我が家にこの釜飯の入れ物が無かったことがあっただろうか。我が家では主にチーズフォンデュを作るのに使っていた。家族4人ぐらいだと、ちょうど適度な大きさなのだ…

コンビナート

漸く前日の記載まで追いついた。東京出発10日目の昨日は、安中から出発して磯部を過ぎ、松井田の手前までやってきた。 高崎で国道17号線から18号線へと移る。18号線に入ると、緩やかな登り坂が続く。左側には山と呼ぶほどではない小高い丘が連なる。…

高崎だるま弁当

東京を出て9日目となる31日には、高崎を越える。この日も2万5千歩余りを踏破し、安中の先まで到達している。 高崎と言えば観音様もあるが、まずはだるま弁当だろう。赤いプラスチックの容器は小学生の頃から記憶にあるような気がするが、wikiでみると元…