norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

休投稿予告

明日より、四日ほどバーチャルではない旅行へ出る為、このブログへの投稿をお休みしますので、宜しくご了解頂きますように。出立先は京都ですが、その模様は中山道行脚の旅がめでたく京都へ到着した際にはリポート出来るかと考えています。

新大宮バイパス

昨日は浦和の先から大宮を抜け、宮原の先まで到達している。 この辺りの道路は複雑だ。元々は江戸時代から続く中山道が戦後までずっと使われていてたようだ。高度経済成長期にモータリゼーションの発達で車が増え、並行して走る片側2車線の道路が作られた。…

首都高5号線

昨日は浦和を越えて、新さいたままでの途中ぐらいまできた。国道17号線は高崎線の少し西側で、首都高5号線の下をずっと走っている。 学生だった頃も車には乗っていたが、首都高は滅多に走ったことはなかった。社会人になってからはお金よりも時間が大事に…

幻の陸橋

中山道、二日目。東京から17.9km進み、赤羽と浦和のちょうど真ん中、西川口辺りまで来た。17号線で言えば、高島平辺りになるのだろうか。 私の幼い頃の微かに残っている記憶に、幻の陸橋というのがある。場所は東京都心を出ていく時と逆に東京都心に戻ってく…

中山道、一日目。

中山道の旅に出発して1日目。歩数は11214歩、距離にして9.4km。高崎線では尾久の先。王子とか飛鳥山の辺りになる。国道17号線を辿れば、JR神田駅ガード下を北側で潜り、秋葉原電気街の手前、万世橋、昌平橋と角を曲がる。湯島聖堂、東京医科…

中山道出立!

前回、東海道の行脚に出た時は起点は東京駅だった。今回も距離測定上は同じだが、画像の出発点としては日本橋を選んでみた。 日本橋をちゃんと見たのは、実は割と最近だ。大手町にあった会社の本社に訪れた際に時間調整にふらふらと出歩いて、箱根駅伝の出発…

中山道

中山道の起点は東海道と同じ、日本橋である。国道17号線に沿い、最初は白山通りを北に進むらしい。そして板橋陸橋で山手線を越える。諏訪湖から折り返して名古屋へ向かうのだが、東京方面から真っ直ぐ諏訪湖へ向かう所謂甲州街道20号線、高速で言えば中…

京の食

そろそろ、真剣に次の行脚に出ねばと思っている。もともと、毎日歩く歩数の為のモチベーションとして始めたバーチャル行脚。ちゃんとやっていないとどうもさぼりがちになってしまいそうだ。 京都巡りの最後に京都の食を取り上げたい。別に京都の定番の食事を…

東寺、五重塔・・・

今回は東寺を取り上げる。勿論、京都の中でも好きな場所のかなり上位に挙げられる。 私と京都の関係で言えば、人に連れてこられることでしかなかった高校生時代まで、自分の意思で訪れるようになった大学生以降、出張の際に通り過ぎることしかなかった会社時…

仁和寺にある法師・・・

仁和寺と言えば思い出すのが、「仁和寺にある法師・・・」のくだり。兼好法師の徒然草の一節である。この一節のせいで、仁和寺というお寺を忘れられない。しかし、その先が何だったか、初めて習った時から幾星霜。すぐに続きが出て来ない。確か、木に昇って…

高雄、神護寺・・・

あだし野の次に来るのは、高雄、神護寺である。ここには少なくとも二度は訪れている。一度は紅葉真っ盛りの頃の高校修学旅行。もう一回は雪が残っていた、大学を卒業する直前の正月明けの頃だ。 修学旅行の時に残っているのは、絵葉書の地蔵院という場所。こ…

嵯峨野 あだし野・・・

南禅寺の次を挙げるとなれば、やはり嵯峨野、あだし野の念仏寺だろうか。あの妖しげな独特の雰囲気が心惹かれる。幽霊のでそうな場所という感じだ。 冒頭の画像は、高校の修学旅行で行った際に拝観で貰ったパンフレットの裏表紙。よくこんなものが残っていた…

南禅寺

京都二番目のお気に入りは南禅寺だ。石川五右衛門がその山門に上がって京の街を眺めながら「絶景かな、絶景かな」と嘯いたのは有名だ。この壮大な門も勿論好きなのだが、もっとお気に入りなのは、境内裏手にある水道橋である。 こんなものがどうして日本にあ…

兄弟ブログ紹介

京都まで到達したので、一応の区切りとして、並行して書いていたいわば兄弟ブログも紹介しておこうと思います。はてなではない場所で作っていたのですが、はてなの方が慣れてきたので、過去の記事を含め移転したものです。よろしければこちらも・・・ ↓ ↓ ↓ …

金閣寺・・・

一日、空いてしまった。実は客人があって、その饗応に時間を取られていたのだ。歩数も久々に三千歩台とインフル罹患以来の一万歩未達成となってしまった。 さて、東海道踏破を完遂したので、ここから暫くは京都内を巡ってみようと思う。その前に改めて前回の…

京に入る

江戸を睦月廿と九日に出立してはや五十四日目にめでたく京の都に到達を果たして ござる。歩数にして62万歩弱。距離にして520kmと相成ったのでござる。 時折、飛脚が届けてまいる姫からの文にて、未だ駿府の辺りとのことでござるので しばし、京の街を…

逢坂山

昨日は歩数が進み、13450歩をカウントした。大津を越え、山科も過ぎてもう京都三条大橋まであと一歩である。大津の先は逢坂山、東海道本線ではトンネルで越える。 逢坂山と言えば、 何しおわば逢坂山のさねかずら ひとに知られで来るよしもがな 三条右…

あれれ・・・

栗東を出て次は草津となる。草津って、あの温泉のじゃないよな。と思って地図を 確かめることにすると、あれれ・・・。ずっと中山道と東海道が合流した街道を進ん でいたつもりだったのだが、草津の手前で別の東海道という道を発見する。 草津駅手前で東海道…

帰宅難民

また今年も3月11日がやってきた。この事について書くのを忘れていたので、今日二回目の書き込みとなる。三年前のあの日、職場で私が一番家に近かった。自転車で5分、歩いても10数分しか掛からない。これは若い頃、2時間近い満員ラッシュ通勤や、車で…

くりちゃんバス!

篠原の次は野洲、守山と続き栗東というところまで来た。栗東・・・。はて、何と読むのだろう。くりひがし?くりとう?あわ・・・じゃないよな。 調べてみたらなんと、りっとう。まさかの読み方だ。しかもその住所が滋賀県栗東市へそ。へその漢字は難し過ぎて…

八幡色々・・・

安土を出て、近江八幡を越え、篠原というところを過ぎたところ。八幡和郎(やわたかずお)という歴史作家の方が書いた「日本史が面白くなる地名の秘密」という本に近江八幡という地名のことが出てくる。総務省の指導により、同じ漢字表記の市が二つ出来ない…

小野小町

彦根を過ぎて能登川というところを超え、安土の一歩手前までやってきた。安土と言えば安土桃山時代とくる。私は歴女でもなく、大河ドラマフリークでもないので、戦国史はどちらかと言えば苦手である。いろんな史事の何処と何時に疎い。 しかし、戦国時代から…

彦根・・・

米原を出て、彦根、南彦根と過ぎ、河瀬というところまで到達した。彦根にはND社という会社があって、何故か知り合いが多く行っている。友人というより知人である。多くは嘗ての先輩にあたる。少ないながら嘗ての同僚も居る。嘗ての部下というのはおそらく…

米原通過

醒ヶ井を出て、米原を過ぎ彦根の手前までやってきた。 米原というと、大学の先輩を思い出す。しかし読み方は「ヨネ」のほうだった。密か に、私は「クロカマキリ」と渾名を付けていた。皆から呼ばれていた通称はノンだ。 マイバラのほうだが、降り立ったこと…

醒ヶ井

昨日、柏原というところを出て、醒ヶ井というところまで到達した。何と読むのだろ うと思ったが、覚醒という字と同じだなと思って、さめ・・る?、さめ・・い?と考え wiki を引いてみたら案の定だった。 ここら辺りでJR東海とJR西日本が縄張りを分け合…

甲賀の里へ

大垣の先、垂井を出て関ヶ原を過ぎ、柏原というところに至った。この辺りは近江の 国、甲賀忍者の由来する土地である。 大垣で、何故、普通夜行列車の終着点なのかと前回少し書いたのだが、冷静に考えて みて、この辺りから濃尾平野を過ぎ、山中に入ったので…

夜行列車、大垣行き

一日空いてしまった。何とかインフルから回復し、昨日から一日一万歩踏破を復活させる。そのおかげでやっと大垣を越えることが出来た。 大垣と言えば、我々の年代にとっては、夜行列車大垣行きである。大学生が安く関西方面を旅行しようと思うと、外せない列…

保菌者解除まであと一日

相変わらず歩数も距離も伸びない。西岐阜から隣の穂積へ何とか辿り着いたのがやっとだ。同じ地区の近辺にずっと停滞しているので、さすがに話題にも事欠いてきた。 罹患した水曜未明はおそらく39度あったと思われるが、すぐに医者へ行き薬を貰って服用。イ…

保菌者解除まであと二日

インフルエンザ罹患から三日目となった。未だ外出もままならない。しかも雨だ。 当然、距離も進まず、未だ長良川を越えられない。木曽川を越えて岐阜から西岐阜 辺りまで何とか辿り着いたところだ。 以前、木曽路を辿って犬山城近くに宿を取った際に、宿の窓…