norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅 7

 三島邸を訪ねてから16年ほどが経っている。現在のグーグル地図でどこをどう通って三島邸に辿り着いたのか道を追ってみたがもう思い出せなかった。しかし今ではネット上に場所まで案内している人が居て、それで探し当て3Dの画像まで見つけることが出来た。16年前とは雲泥の差だ。

 三島邸は当時親戚の人が棲んでいて、今は他の人の手に渡ったらしいが金属のプレートはまだ残されているそうだ。

 三島邸を見つけた後、今回の探索の目印でもあった妹が結婚してすぐに棲んだアパートというのを探し当てた。1980年代の前半頃で、当時は結婚するとだいたいは会社の社宅へ入るか、賃貸アパートを借りて住むというのが普通だった。かぐや姫神田川からまだ十年も経っていない頃だ。

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅 6

 ちょっといかめしい感じの鉄の門の横に鉄製の表札があって三島由紀夫と彫られている。三島が棲んで居た頃から使われていた表札かどうかは分からないが私が持っている篠山紀信撮影のものには既に同じ表札がある。

 鉄の門の奥には写真集にもある陶板のレリーフが飾られていて、これは生前の写真にも写っているので当時からのものらしい。

 門の向こう側には立像の頭だけが見えている。写真集では大理石のアポロン像であるとなっていて白亜の彫像だが、私が見た時にはブロンズ像ではと思われるほど黒っぽかった。

 望めるのはそのくらいで、近寄っても離れても屋敷の様子は窺うことが出来なかった。

 

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅 5

 妹のメールにあった貴船坂からだらだらとアパートのほうへ降りて行った道というのはすぐに判ったのだが、メールの左手にあった丘の上の白い家というのを探しながら歩いても左手は新しい二階家が連続して見晴らしが悪く、そもそも丘というのが見通せない。とうとう昔、妹が棲んで居たというアパートがあったらしき住所の坂の下まで出てしまった。

仕方ないのであとは適当にすこしでも昇りになっている方向へ向って歩いてみた。途中二度ほど訊いたが、三島由紀夫の家が近くにあるらしいことは知っていても、正確な場所は判らないという。もう少し上がったバス通りにある八百屋に訊いて見たらという薦めに従って訊いてみると、正しく見当を付けて登ってきた道沿いだった。途中道路工事をしていて通りにくい場所があって、そこを抜けて横を向くとその場所はあった。白い塀と妙に茂った植木の葉からほぼ間違いないと近づいてみると、三島由紀夫邸の古めかしい表札が見つかった。

 

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅 4

 本門寺がかなり近くなった辺りで通行人に本門寺を訊くと、「私はまだ行ったことがないけど、この道をまっすぐだと思う。」と言われる。寺に参りに行く老人に思われたのだろうなと思いながら、感謝を表して先に進むと、本門寺の石段前に出た。

 あの界隈は小さな丘が至るところにあって、どちらが昇りでどちらが下りということがない。登ったと思うと、すぐ下り、また昇りになるといった具合だ。

 本門寺本堂がひとつの小高い山で、公園のある角に出ると、もう上り坂の入口。雰囲気から貴船坂だろうと判断して道行く人に訊くが、「さあ、そうだと思うが。」と頼りない返事。昇りきってみると、ちゃんと貴船坂の碑が立っていた。

 

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅 3

 地図はグーグルのものを頭に入れただけで印刷して持っていくことはしなかった。横浜を経由して蒲田で生まれて二度目になる池上線に乗る。生まれて初めて池上線に乗ったのは会社で葬儀か何かがあって参列した時だった。

 乗って二つ目ぐらいの池上の駅で降りる。しかしここで大きな間違いを冒す。池上線は真っ直ぐ北上していると思いこんでいたので、駅を降りて電車の進行方向へ真っ直ぐ進んでしまったのだ。実際には池上線は池上駅の手前で大きく西向きに進路を変えているので真っ直ぐ西へ向かってしまっていたのだった。

北に向っていると思いながら西に向っていて、第二京浜国道に出た時、左が東京、右が横浜と思っていたのが、逆の表示で、これは駅を出た時、方向を180度間違えたのだと思ってしまった。地図を持って来なかったこと、全天の曇りで方角が判別できなかったことが二重に災いした。駅まで戻って反対方向へ向ったのだが、今度は北へ向っている積もりで東へ向っていた。渡る筈のないところで線路に出て、これは違うと思い始め、初めて道を訊くことにする。教えてくれたのは線路沿いに暫く行って斜めに向うということ。頭に思い描いていたのと、教えられたのが全く整合とれないので、半信半疑のまま進んだが、どうやら本門寺山道前に出たようだった。

 

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅 2

 当時の日記やメールの控えを観ると今とはいろんなものが違っていたことが分かる。そのうちの一つがグーグル地図だ。今と見掛けが全然違う。

 航空写真も当時のものはかなり解像度が粗い。3D画像はまだ無かったようだ。あったのだがまだ使い方は知らなかっただけかもしれない。

 下の妹のメールの記載からグーグル地図で貴船坂が池上本門寺の近くにあることを調べ、娘の結婚報告の葉書にあった昔棲んでいたアパートの住所だけを頼りにこの辺りではないかなと見当をつけて、3月の初め三島由紀夫邸探索の旅に一人で出掛けたのだった。

 

2007年一日旅 三島由紀夫邸 探索の旅

 箱根恩賜公園に出掛けたすぐあと、ひょんなことから大田区南馬込へ三島由紀夫邸の探索の一日旅をすることになった。

 2000年以降の頃、兄弟姉妹間で電子メールを送り合うことをしていた。そんな中でこのブログでも1週間ほど前に紹介した鎌倉の古い洋館、旧荘清次郎邸を訪れた話を写真付きで話題にしたのだ。するとこのメールを観た妹から次のような返事が返ってきたのだ。

 「洋館の写真をみて、三島由紀夫邸を思い出してしまいました。私の場合は、変な趣味!と思いながら、独特の雰囲気を味わいたくて、人っ子一人いない路地にある、三島邸のあたりをよくさまよいました。・・・・(途中略)・・・・XXさん、蓬莱坂、とか貴船坂とかありましたよね。あれを登りきった道を私の住んでいたアパートめがけて下って行く途中で、向こうの丘に三島さんちが見えたのですが、昔はね。あの辺をうろうろすると楽しいですよ、きっと今も。大正時代に文士村とよばれていたそうです。」

 このメールは二人いる妹の下の方の妹からのもので、文中のXXさんは上の方の妹だ。1980年代の前半頃、二人の妹はどちらも大田区に住んでいて、下の妹のほうは結婚して最初に棲んだのがこの文にある南馬込界隈だった。

 

 このメールの遣り取りをした2007年より遡ること10年ほど前に実は篠山紀信が撮った三島由紀夫邸の写真集を偶々購入して持っていた。三島邸の場所までは書かれてなかったので、どこにあるのか知らなかったのだが、妹のメールから妹が昔棲んで居た南馬込の近くにあるらしいことが分かって是非捜し出してみようという気になったのだ。