2004年10月、品川界隈を妻と娘との三人で散策することになる。メインは海洋大の文化祭をやっているというのでそれを覗いてみようというのだ。
品川は会社に入ってすぐの70年代終わり頃、上司が棲んでいて世田谷に引っ越しをするというので手伝いに行ったのが初めてだった。その頃とは全く違う街に様相が変わっていた。運河の近くには倉庫街しかなかった気がするのだが、高層マンションや商業ビルが立ち並んでいた。
2004年10月、品川界隈を妻と娘との三人で散策することになる。メインは海洋大の文化祭をやっているというのでそれを覗いてみようというのだ。
品川は会社に入ってすぐの70年代終わり頃、上司が棲んでいて世田谷に引っ越しをするというので手伝いに行ったのが初めてだった。その頃とは全く違う街に様相が変わっていた。運河の近くには倉庫街しかなかった気がするのだが、高層マンションや商業ビルが立ち並んでいた。
一日旅というと大袈裟だが、普段体力維持の為に散歩を1時間ほど心掛けていて、いろんな散歩道を開拓していた。そんな折に不思議な建物を見つけた。
日本とは思えないような、まるでフランス・ロワール河沿いの古城群にあるような城館をちょっとこじんまりとさせたような洋館だった。
その日はその家の方へ探索に行ってみることにした。周りを住宅街が建て込んでいるので、なかなか近くまで寄れなかったのだが、細い路地を抜けていくとその屋敷というのか館の前に出た。工事中であるかのように鉄パイプの足場が組まれていて既に廃屋のようになっていた。
更に不思議な事に玄関らしき扉には警察署の名前で、「調査中 立入禁止」という貼り紙があったのだ。何かいわくのある事件が絡んだ屋敷のようだった。
駅へと戻っていく途中、細い路地の先に呑み屋がずらっと並んでいる場所があった。まだ明るいうちだったので、ひと気は無かったが夜にはとても賑わいそうだった。
駅へ戻って谷中銀座通りを見下ろす階段の上で記念写真を撮っていくことにする。「夕やけだんだん」という名がついている有名な場所なのだそうだ。
新宿まで戻ってくると、電車の時間待ちで1時間ほど余裕が出来たら、妻が思い出横丁という呑み屋街に行ってみたいという。谷中の呑み屋街に触発されたようだった。私は入ったことはないが通ったことはあるので、勘を頼りに案内すると、西口から東口に抜けるガード下付近に入り口が見つかった。
二度ほど往復してから「ひなどり」という店を見つけて入ってみる。焼鳥三串におしんこを注文してから妻は日本酒、私はビールを中壜で頼む。あれから18年経つので、もうあの界隈は無くなっているのかもしれない。
蕎麦屋、川むらを出た後はまた暫く谷中界隈を歩くことにする。特に名所という訳でもない街並みの風景、一つ一つが渋い味わいを持った界隈だった。
そんな中に突然、屋根の上に野球帽を被った少年の像が乗っかった建物が現れる。朝倉彫塑館という美術館だった。中には入らなかったが何やら怪しげな雰囲気が興味をそそる。
商店街に谷中せんべいという名物店らしき店があったので煎餅を買ってゆく。
谷中を散策してみようと思ったのは、TBSラジオの嘗ての名物番組、大沢悠里のゆうゆうワイドで紹介されていたからだったことを思い出した。その中で蕎麦屋、川むらも紹介されていて入ってみたいと思っていた。
谷中銀座の商店街へ出て、まずは駅のほうへ戻り、蕎麦屋の川むらを見てみることにする。その時点で12時のほんのちょっと前ぐらいだった。混んでいるかと思ったが、数人分席が空いていたので、すぐに入ることにする。その後、どんどん混んできて、その時入って正解だった。
天ざるを二つ頼み、妻は明鏡止水、私はその店のオリジナルの日本酒を頼み、つまみに鴨の燻製を取る。
給仕をしてくれたのは若手の新米。酒の注ぎ方を練習中らしく、私の時は上手くいったが、妻の時にはちょっとだけこぼしていた。
蕎麦も天婦羅の海老もまずまずだったが、酒はかなり良かった。飲み口は一見軽そうなのだがかなり酔いのまわる重たい酒という感じだった。蕎麦と日本酒で二人して約5千円というのはちょっと使い過ぎだったかなとも思ったが、物がいいだけに無駄遣いをしたという気はしなかった。
長谷川一夫の墓の前は老人たちが大勢たむろしているので通り過ぎて大名時計博物館を目指すことにする。途中で全生庵が近いことに気づき、先に寄ってみることにする。
谷中散策は少し前にラジオの放送で聴いて行ってみようという気になったのだが、それとば別に偶々同窓会開催のやり取りをしていて、日本美術を研究している高校の同級生とのメールのやり取りで全生庵は幽霊寺として有名で円山応挙他の有名な幽霊の絵を所蔵していることを知る。8月に三遊亭円朝を偲ぶ円朝忌というのがあってその際に開陳されるのだそうだ。
我々が行った際には何かの法要をしていて、鐘の音と読経が聞こえていた。
裏の方に三遊亭円朝の墓を見つける。寺を出た後に、妻があの辺りは変な運気が漂っていると言っていたが、確かにそんな陰気な感じのところではあった。