norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

2015年一日旅 吾妻山公園

 2月に入ってすぐ、菜の花が見頃になっている筈の吾妻山公園に行ってみることにした。このブログでも何度か紹介しているが、2011年、2012年、2014年とこの季節に恒例のように行っていて、この時が四度目だった。

 いつもだいたい同じアングルになってしまうのだが、この年は富士山が良く見えた。

 吾妻山公園のシンボルのようになっている大きな樹はえのきというらしく冬場は葉を落として幹と枝だけの状態になっていた。

 下山はこれまで通って来なかった石段の坂道ではない、東側斜面にあるつつじ園の中をジグザグに降りてみることにした。残念ながらツツジはまだ季節ではなかった。

 

2015年一日旅 正月 T薬師散策

 2015年の初散歩は2年前に引き続いて三が日が終わって初詣が終わった頃を見計らってT薬師へ行ってみる。

 例年年末から立てられている赤い幟は大クスノキの周り以外は片付けられていた。前回、観たかどうかはっきりしないが大クスノキの幹の中は戦災で焼けた時以来、内部は空洞になっているとのことだが、お地蔵さんが祀られていた。

 手水舎の辺りにも人影はなく、薬師堂はひっそりしていた。手水を掬う柄杓にはH27.1.1とあったので奉納されたばかりのもののようだった。

 

2014年一日旅 東京たてもの園散策 17

 たてもの園をだいたい見終えて入口のビジターセンタに戻って最初に観なかったジブリ展を覗いてみるが人が多過ぎてよく見れなかった。

 黄金井公園を出るとお昼時だったので、昼を採る店を探しながら歩いたが結局駅すぐ近くまできて鶴亀屋というラーメン屋を見つけて入ることにする。

 塩ラーメンと餃子を頼む。味はまあまあというところだった。

 

2014年一日旅 東京たてもの園散策 16

 旅館萬徳と道路を隔てて反対側には大和屋本店という乾物屋がある。これも昭和初期の建物で木造三階建てだが三階部分の軒が前に出っ張っていて出桁造りというそうだ。

 乾物店の脇には煙草売り場が併設されている。昔は煙草屋と言えばこういう造りで奥にお婆さんが日がな一日中座っているというイメージがあった。

 乾物を専門に売る店というのは今はアメ横ぐらいしかみないような気がする。

 大和屋本店の向かいには典型的な看板建築の荒物屋、丸二商店がある。看板建築は正面だけ洋風に飾り立てた造りだが、横や裏側は純然たる木造の和風建築だ。

 写真は別の店だが看板建築の表側ではない部分で家と家の間の路地にはホーロー看板などが貼られている。

 荒物屋という概念は今はあまり見かけないものだが、昭和初期の時代のホームセンターなのだろう。

 

2014年一日旅 東京たてもの園散策 15

 子宝の湯の斜め隣には江戸末期から明治初期の頃に建てられたという旅館・萬徳が建っていた。青梅街道沿いにあったものを移築したものとのことで、終戦直後ぐらいの時期の様子を再現しているという。

 正面から入ると土間があって左右に上がり框がある。信州の木曽路に知り合いの実家で江戸末期頃からの脇本陣の家があって泊まらせて貰ったことがあるがちょうどこんな感じだったのを思い出す。

 和室の客部屋に入ると、廊下とは障子で、隣室とは襖で仕切られている。布団を収納する押し入れはないので、各部屋用の布団を収納している専用の布団部屋があるのだろう。大学の運動部用の明治時代の古い寮に泊ったことがあるがちょうどこんな感じの造りだった。

 風呂は檜張りの樽のような形だが、焚口が見えないことからおそらくは内側は金属で出来た五衛門風呂なのだろう。

 家の外にあたる部分に井戸が付属している。朝起きて顔を洗うのはこの場所なのだろう。

 

2014年一日旅 東京たてもの園散策 14

 銭湯子宝の湯の隣にあったのは鍵屋という屋号の居酒屋だった。説明書きは居酒屋なのだが、現在の居酒屋のイメージではなく時代劇に出て来る呑み屋という感じで、実際建てられたのは江戸時代末期のようだ。

 四畳半くらいの小座敷はそれこそ鬼平犯科帳とか半七捕物帖、銭形平次といった世界を彷彿させる。ただ後ろに極初期の電気洗濯機や電気炊飯器らしいものが収められているのが江戸から昭和初期まで使われ続けてきたことを象徴しているようだ。

 ずらっと並んだお品書きも当時を彷彿させて面白い。

 

2014年一日旅 東京たてもの園散策 13

 東ゾーンの北側には昔ながらの銭湯、子宝の湯があった。足立区千住にあった昭和初期の建物を移築したもので、神社仏閣のような唐破風と呼ばれる作りの玄関が威風のある雰囲気を醸し出している。

 銭湯内部には定番と言っていい富士山を描いた書割があって、当時の典型的な造りになっている。

 私自身は幼年期の極一部で、自宅の風呂が故障したか何かで数日通っていた時期があったと記憶しているが、銭湯自体はずっと街の中にあったように思う。

 脱衣所には当時を彷彿させる街の商店の宣伝看板などが軒の上にずらっと並んでいる。冷やした壜の牛乳などをいれた冷蔵庫があったのもこんな感じの脱衣所だった気がする。

 自分自身の生活ではあまり銭湯の記憶はないが、銭湯といって懐かしいのは堺正章、森光子、浅田美代子などが出ていたテレビドラマ、時間ですよのシーンだった。