norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

N社系とP社系の確執 鉄仮面スカイライン

f:id:norimakihayate:20150826123955j:plain

 昨日も1万歩を達成出来た。つい数日前は熱中症に罹るような暑さだったのに、ここ二日ぐらいは半袖では寒いような陽気だ。山陰本線上では福部を出て鳥取まであと3kmというところまで来た。福部、鳥取間は12kmほどもあるのだ。

 

 一週間近く前になるのだが、4代目になる私の愛車プレーリーの選択の際にエンジン設定で奇異な感情を持ったという話をした。その辺りをここで私の次の愛車の話に移る前に整理しておきたいと思う。

 

 私が大学卒業後に入社する前にN社とP社は合併を遂げていた。両者の共同設計になるセドリックグロリアは230型、330型と2モデル既に発売されていたし、P社の主力車種であったスカイラインはN社系のエンジンが搭載されるようになって、C10、C210とやはり2車種発売されていた。従って合併後10年以上が経過していたのだろうと思われる。

 

 N社系の設計部隊は神奈川県の鶴見にあって、元P社系の設計部隊は元々東京郊外の荻窪に居たようだ。私が入社した時には設計部隊はまだ鶴見と荻窪に分かれていた。プレーリーは荻窪設計グループが車体設計を担当した車種だった。

 

 私が入社して最初に所属したエンジン関連設計課の一つは若干荻窪色があった。若干というのは微妙だが、部長、課長を含め管理職は鶴見系出身者で占められていたのだが、課の連絡車という名の社有車は旧P社系の初代ローレルで、エンジンもP社開発のG型エンジンだった。勿論、私が入社した時点では生産終了しているエンジンであるが、そんな車を代々使っているのは私が入社後最初に配属された部署は旧P社系の設計部隊を母体にした開発グループだったのではないかと思わせた。

 

 私が最初に師事した上司もN系出身者ではあったが、小型車を買うならP社系設計のA系エンジンを選びなさいと指導してくれたのだった。その頃の私はそもそも、会社に何々系などという派閥が存在すること自体が理解出来なかった。その二つの合併前の系列に微妙な確執があるのも分からなかった。

 

 最初にそれを知ったのは、多分6代目になるらしいR30型スカイラインのエンジン設定からだった。私が入社した時、その当時はC110型だったがスカイラインのエンジンは6気筒系、4気筒系もN社開発のL型エンジンだった。次のC210型もその次のR30型が発売された当初も同じL型のみの採用だったのだが、R30型の途中のマイナーチェンジでずっと長い間N社には無かったDOHCエンジンが久々にスカイラインに投入されたのだが、それが荻窪開発の4気筒エンジンFJ20型だったのだ。この事を私はとても奇異な事に感じたのだが、世の中の多くの人も同じ気持ちだったに違いない。

 

 SOHCタイプのエンジンのDOHC化はT社が先行していて、DOHCのT社、ターボのN社とずっと言われ続けていた。嘗て日本に排気規制が施行される前にはP社系開発のスカイライン用DOHCエンジンも存在していて一世を風靡していた。それが漸くDOHCエンジンが復活したのに、それが4気筒エンジンだったのだ。同じ会社に所属して居ながら、(えっ、何で???)と思ったものだった。

 おそらくは、N社系の重役たちがP社系の役員に、P社系設計部隊にスカイライン用の6気筒DOHCエンジンの開発をすることを許さなかったのだろう。

 その2年後ぐらいに、N社系の6気筒DOHCエンジンR20型が発表発売されることになる。勿論、7代目となるスカイラインにも搭載されたのだが、何となく白けた気分になったのは社内に居た私だけではなかったのではないかと思うのだ。