norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

外車での憧れ BMW2002

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 昨日は何とか1万歩を達成したのだが、駅としては今庄から次の南今庄までしか進めなかった。

 

 私が運転免許を取ろうとしていた時代、外車に憧れるというのがまず普通ではなかった筈だ。外車にどんな車種があるのかも、一般の人の知見にはなかった時代だ。外車というと、一般の人に知見があるのは、メルセデス・ベンツロールス・ロイスぐらいではなかっただろうか。アメ車と俗に呼ばれたアメリカ製ビッグスリーの車もある程度は認知があったが、車名まで言えるのは相当なマニアでしかなかった筈だ。せいぜいがキャデラックとリンカーンという名前が判るぐらいだろう。

 

 BMWという会社は今のようなダイムラーと肩を並べるような高級車メーカーではなかった。少なくとも私が初めてBMWという名前を知った1970年代から1980年代に掛けてはそうだった。初めの頃はホンダの様にオートバイのほうが有名だったり、四輪車でも、暴走族が好むような、どちらかと言えば品の無い馬力だけでベンツと競う車を作るような会社だったと思う。

 

 私がBMWという当時は日本では殆ど無名だった自動車会社と、2002というモデルを知ったのは、米誌プレイボーイの全面広告を通じてだった。当時既に日本版のプレイボーイは集英社から出版されてはいたが、本家本元は米国版のプレイボーイだと知っている日本人、少なくとも高校生、大学生は少なかったのではないかと思う。米国版プレイボーイを知ったのは高校3年かその後の予備校生の頃だったと思う。御茶ノ水の予備校に模試などの関係で通っていて、そこから坂を下っていった先にあった神田神保町や小川町の古本街の店先に、古いバックナンバーが売られていたのだった。

 

 勿論、当時のお目当ては雑誌を飾るセミヌードのピンナップガールたちだったのだろうが、目を惹いたものに、格好いい自動車の全面広告があった。日本車もあって、日産の240Zや、ホンダ・Zなどの輸出車の広告もあったのだが、そんな中にドイツ車としてBMW2002があったのだ。それをみて、なんと格好いい車があるのだろうと憧れたものだった。当時、古本屋で買い求めた米国版プレイボーイ誌から切り抜いた全面広告のホンダZとBMW2002の一頁は、自室の壁にピンナップガールの代りにずっと貼ってあったのを記憶している。