norimakihayateの日記

現在は私の海外史に特化して記しています。私的な意見ははやてのHomePageへ書いています

コンピューターで日本語・・・

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   (IBMマルチステーション5550)

 

昨日は松井田から出発して西松井田と過ぎ、峠の釜飯で有名な横川までやって来た。

 

 80年代はコンピューター市場に日本語が導入され出した時期だった。会社で使っていたパソコン黎明期の日立MB6890はこのシリーズの後期の方のもので、カラー表示が可能なモニタ(色数は極少)だったが、ひらがなとカタカナだけは表示可能だったようだ。それもドット数の少ないぎざぎざの文字だ。まだワープロ機能はなかったようで、基本的にやっと日本語が画面に出せる程度のものだった。

 

 その後、MB6890の後継として、会社ではIBM5550が導入された。正式名称はIBMマルチステーション5550というらしい。マルチステーションというのは、オフィス用コンピュータの側面と、日本語ワープロの側面と大型計算機用端末としての側面を合わせ持っていたからのようだった。まだ相当高価だったようで、個人で購入できるレベルではなかったようだ。確か部単位で一台あるかどうかぐらいのレベルだった。印字出力は小型のラインプリンタを使っていたと記憶している。文字もかなり滑らかになって綺麗な明朝体の漢字も描けるようになった。曲りなりにも日本語ワープロ機能があったので、これを使ってマイコンによるエンジン制御のコントローラーの制御仕様書を作るようになる。それまではA0版のトレース紙に鉛筆での手書きだったのだ。日本語ワープロとしてどの程度使い勝手があったのかはもう記憶にないが、それほど高速ではなかった筈だ。はっきり覚えていないのだが、マルチプランという名の専用ソフトが付属していて、確か表計算のような事が出来て、これはよく使っていた。

 

 ほぼ同時期に日本の電機メーカー製のワープロが導入されるようになる。こちらもやはり最初は部単位で数台のレベルだった。NECの文豪、SHARPの書院、富士通のオアシスあたりが御三家と呼ばれていたが、私の居た会社で導入されたのはNEC文豪だった。部の導入台数は少なかったが、キーボードを扱える人もかなり限られていたので、当初は我々電子機器のソフトウェアを扱うプログラマか、秘書出身でタイプライタ経験のある女性事務員ぐらいしか使う者は居なかった。

 

 会社に導入されて早速使ってはみたが、記憶機器が貧弱だったのであまり多用はしなかったように思う。

 

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  (NEC 文豪)

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  (シャープ 書院)

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  (富士通 オアシス)

 

 同じ課に二年後輩で入ってきた男がほんの数年で会社を辞めることになった。その男がワープロの中に遺言のように、辞めることを決心した理由を密かに記していた。何と書いてあったのかは、もう憶えていないのだが・・・。