norimakihayateの日記

現在は私の海外史に特化して記しています。私的な意見ははやてのHomePageへ書いています

本格量産設計の開始

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 (左から8インチ、5インチ、3.5インチのフロッピー・ディスク)

 

 昨日は王子付近に居たが、赤羽を超え、荒川を越えて西川口付近までやってきた。

 

 さて、私のコンピュータ史に戻らせて頂く。就職一年目の年末、関連部署実習から戻ってくると、もう待った無しの状況になっていた。前にも触れたようにマイコンで制御するエンジンの新車立上りまで16箇月という状況。先行開発は終わって、量産開発に将に取り掛かるという状況になっていた。その頃、どのくらいの完成度になっていたのかというのを推測する一つの事実がある。

 

 量産化に向けてのソフト開発の主要課題が三つあった。関連部署実習を終わって職場に戻ってきた私がそのうちの一つを担当することになった。それが5バイト割る3バイトの割り算計算だった。今になって考えると、えっ、そんな基本的なプログラムも未だ出来ていなかったの?という素朴が疑問が起こる。

 

 曲りなりにもプロトタイプの車が動かせるだけのプログラムは既に出来ていた筈なので、今になって考えると量産設計としてはまだまだ精度が足りない状況だったのだろうと思われる。ちなみに主要課題の残り二つだが、確かな記憶ではないが、おそらくは補間計算付きに2次元マップの値参照プログラムと、マルチプレクサを用いた複数入力の順次アナログ・デジタル変換だったと思う。当時は設計部署、研究所、協力機器製造会社で協力しながら開発を進めていて、アセンブリ言語レベルでプログラムを記述出来る技術者は私を含めてそれぞれの部署に一名ずつの3名体制だったのだ。

 

 開発装置も、大型計算機を用いてのコンパイルでは最早時間が掛かり過ぎるということで、スタンドアローンコンパイル能力を備えた装置が導入された。ここで使われていたメモリ媒体は、漸くカセットレコーダーを卒業して、フロッピィディスクが使われるようになった。しかし、これは現在の普通の人が思い浮かべるような3.5インチタイプのものではなく、8インチタイプと呼ばれる今から考えると吃驚するような大型のディクスだった。