さて、そろそろバーチャルの旅を再開せねばと思っている。読者の方々からしてみれば、関係ないのかもしれないが、元々このブログは私が日々一定量を歩くモチベーションの為にやっているというのも事実である。新しい歩数計も入手した。準備は徐々に整いつつある。
昨日も書いているが、大学を卒業して就職してマイコンで制御される車を立ち上げるというプロジェクトに加わることになったが、入社配属当初は関連部署実習が終わるその年の暮れまで仕事らしい仕事はしていなかった。
マイコンに習熟しておいてくれと言われて、NECのTK80に似た、しかしCPUはMC68系のモトローラ製が搭載されたマイコントレーニングキットを与えられて、それで適当に勉強しておけという事だった。
この手の事は、Z80系ではあったが、卒論で基板組み立て、プログラム実装、デバッグまで一通り経験済みだったので、遊んでいるようなものだった。MC68系のトレーニングキットはハード装備的にはTK80と大して変りなく、入力は剥き出しの基盤に接続されている関数電卓みたいな(おそらく筐体は関数電卓の流用だろう)コンソールボックスのボタンだけで、出力は標準装備はコンソールボックス上部に載っている10桁だったか12桁だったかのセブンセグメントのLED表示器のみだった。冒頭の画像のような感じのものだ。TK80同様、オプションのRFコンバーターというテレビ受像機用信号に変換する基板モジュールで出力をテレビに映し出すことも出来た。これは後日、中古のテレビを買ってきて接続することになるのだが、当初は電卓型のコンソールのみでの学習だった。
一番最初に作ったプログラムは電光掲示板だった。セブンセグメントのLED表示器というのは基本は数字を表示する為の表示器だが、その当時、アルファベットを工夫してこのセブンセグメントのみで表示させるという工夫が流行っていた。以下のような感じだ。アルファベットの大文字、小文字をどちらも表すというのはさすがに無理があったが、どちらか一方に限れば、何とか読み取れるように使用出来たのだ。
電光掲示板はすぐに出来たので、次に取り組んだのはテニスゲームだった。12桁ぐらいの左右の端から2番目のところに縦棒で仕切りを作り、その間を小文字のオーの四角が左右に移動するようにする。このоマークがボールで、仕切りの棒にぎりぎりのところまで近づいたところでキーを押すと跳ね返せるというプログラムを組んだのだ。ボタンを押すのが遅れるとボールは仕切りを超えて奥へ進み、相手の得点となる。途中からプログラムを更に組み替えてよりぎりぎりのタイミングでボタンを押した場合は跳ね返るボールの速度が倍になるようにした。更にはセブンセグメントの上側のоと下側のоを途中で切り替えることによって、ボールがバウンドするようにも改良した。このテニスゲームはすぐに職場で持ちきりになり、昼休みというと、皆がこぞって電卓のボタンを押し合って競って戦っていた。