norimakihayateの日記

現在は私の海外史に特化して記しています。私的な意見ははやてのHomePageへ書いています

真新しいドラフター

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 入社した会社で、本社研修、全社見学、夜勤を含む工場実習を経て、職場配属されたのは2箇月後の6月初め頃だった。配属された部の同期入社は9人、課の同期入社は三人だった。配属先の課長から、今度マイクロコンピュータで制御するエンジンを発売するプロジェクトがある。それに参加したいものは居るかと尋ねられ、イの一番に手を挙げた。しかしずっと後になって判ったことだが、新入社員を採る時は、事前に履歴書(最近ではエントリーシートというらしい)を吟味して、だいたい目星を付けているのだ。私のことは卒論のテーマから、そのプロジェクトに初めから充てるつもりで、採っていたのは間違いなかった。

 

 職場に配属された男子技術員は、一人一台ずつドラフターと呼ばれる製図台があてがわれる。さすがにロットリングの烏口や、計算尺などは使われていなかったが、ユニーの4Bの鉛筆、関数電卓はまだ使われていた。配属先の課長はこっそり計算尺も使っていたのを目撃したことがある。コンパス、ディバイダなどの製図用具は大学の工業製図実習で使っていたものを持ち込むことにした。大学の時は平板にT定規と三角定規で図面を引いていたので、ドラフターを使うということだけで、一人前の技術者になった気がしたものだった。

 

 マイコンプロジェクトの設計チームは私を含めて三人。他に実験部署にも三人程度しかメンバーは居なかった。その時はまだ研究所と呼ばれる場所で先行開発が行われていて、そろそろ量産設計へ移行しようかという時期だった。しかし、その後、一つの部署を1週間から2週間ずつ掛けて周る関連部署実習というのに約2箇月の間、出てゆくことになる。これは新入社員一人ずつに先輩たちの計画によって独自のプログラムが組まれるもので、エンジン工場2種類、研究所、車両実験テストコース、本社クレーム処理部署、車両工場検査課を次々に廻ったのだった。従って、マイコンプロジェクトの仕事を本格的にするようになったのは、その年の年末、車両立上りまで残り16箇月という時期だった。