norimakihayateの日記

現在は私の海外史に特化して記しています。私的な意見ははやてのHomePageへ書いています

カエルの子はカエル・・・?

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 数日前から紹介しているように、私の父親の一番長かった職業はプログラマーだ。私のこれまでの就業経験で一番長かったのも大雑把に言えばプログラマーかもしれない。しかし、それは親の影響があったからとは思っていない。時代の趨勢の中での偶然なのだろうと思っている。

 

 私が幼年期を過ごした頃、同じクラスメートで親がサラリーマンというのはまだ余り居なかった。学友の親の殆どは~屋というような商売の人で、専業農家もまだかなり居た。サラリーマンはそれまで俸給生活者というような言い方で、クレージーキャッツがサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだという唄をヒットさせて、やっとその存在が認知されたのだった。戦時中は船乗りで事務長をやっていた父が、戦後になってすぐだったかどうか分からないが、在日米国駐留軍に勤めるようになって、当時銀行、役所、大学などといった機関に次第に導入され始めていた大型計算機を米国駐留軍司令部でも事務処理に扱う事になったようだ。父親は神学校出身で、技術畑に居た訳ではない。それがすんなりコンピューターの仕事に就くようになったのは、英語、フランス語等の語学が堪能だったせいだろう。プログラミングはある意味、翻訳である。しかもその翻訳元は米国軍人が話す英語の要求仕様だ。

 

 一方の私は高校二年までは、全くの文系人間だった。高校二年の途中で文系、理系の選択を迫られ、その時偶々数学の成績が良かったので理系を選んだ。高校生活の中でかなりの長い時間を図書館で共有していた親友の一人は、その事を聞いて相当驚いていた。理系を選んだのはその当時既に就職には理系のほうが有利そうと言われていたからだ。

 

 大学に進んだ頃に、世の中にマイクロコンピューターなるものが出現した。そしてそれが徐々に工業界に広まりつつあった。そんな時に二年間の教養課程を終えて専門課程に進むことになる。専門課程はそれぞれ定員があって、成績順に希望を出せることになっていた。私は中の中の上ぐらい。理系の課目はそれほど成績は良くなかったのを英語で稼いで何とか挽回していた。当時の一番人気は建築学科。二番目は都市工学だった。人気の無かったのは、農学、舶用機械、冶金など。機械、電気はそこそこの人気という感じだった。そこで私は偶々自分の成績でぎりぎり入れそうな計数工学というのを選んだ。学科の人気ランキングと成績順を並べていくとちょうど合致しただけで、何をする学科なのかもちゃんと把握していなかった。

 

 その学科は機械の制御にコンピューターを取り入れることを扱っていて、その頃既にコンピューターは大型計算機からマイクロコンピューターに移りつつあったのだ。それで何となくコンピューターの関連の勉強をし、卒論もマイクロコンピューターを取り入れた機械制御の研究ということになった。今日の画像は卒論の中に使った図面のうちの一枚。機械製図は苦手だったが、こういう絵を描くのは好きだった。

 

 父親は世の中に大型計算機が広がり始めた時に就業した為、偶々コンピュータの仕事をするようになった。私は世の中にマイクロコンピューターが広がり始めた時に大学専門課程を経て社会に出た為に偶々コンピューターを扱う職業であるプログラマになっただけだと思っている。父との共通点は英語が一番の得意だった事ぐらいだろう。