昨日は遠浅から早来(はやきた)を過ぎて安平(あびら)まで来た。日高本線上では、浜厚真(はまあつま)、浜田浦(はまたうら)を過ぎた。
今日も引き続き私の音楽史。音楽を親しむようになった大きな要因に小学校高学年の頃、学校の放送委員をやった事が大きい。勿論、志願してのことだ。あまり成り手は居なくて、余裕で就任することが出来た。確か二年ほどやった筈だ。
放送委員のメリットは幾つかあった。しかし何と言っても大きいのは、大量にあるレコードの中から自分のお気に入りのものを選んで、お昼休みの給食の時間に放送で掛けることが出来るのだ。勿論、昭和の時代の学校所蔵のレコードなので、ジャンルは限られている。殆どがクラシックだ。後は行進曲、童謡、ダンス音楽などは多少あったと思う。
私はどちらかと言うと激し目の交響曲が好きだった。ドヴォルザークの交響曲新世界の特に第三楽章。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲などはお気に入りでしょっちゅう掛けていた。あとはサラサーテのツィゴイネルワイゼンだとか、ドヴォルザークのスラブ舞曲なども定番だった。ベートーベンの運命も好きだったが、さすがにこれは放送では掛けなかった。ベタ過ぎると思ったのだ。
放送では掛けなかったが、親友のお兄さんがベンチャーズのレコードを持っていて、持ってきて貰ってこっそり放送室の中で試聴もしていた。
放送委員のもうひとつの大きなメリットは、放送担当日は給食をクラスの給食当番が放送室まで運んでくれて、機械係の男子二人とアナウンサ係の女子二人の四人だけで放送をしながら食べることが出来たことだ。これは密かな優越感があった。