昨日は斗米から金田一温泉、目時(めとき)と過ぎて三戸の一歩手前までやって来た。目時からはいよいよ青森県に入った。
青森と言えば、まずは太宰治と矢野顕子あたりだろうか。太宰治についてはおいおい触れるとして、まずは矢野顕子。生まれたのは東京都だそうだが、幼少期、思春期と青森生活をしていたそうだ。
私が最初に矢野顕子を知ったのは、大学生になるかならないかという頃だったような気がする。最初に知った曲は「行け、柳田」という楽曲だ。
私と同じ世代の人なら、すぐに読売ジャイアンツの5番打者だとすぐに分かるだろう。歌詞もだが、そのメロディ、伴奏のピアノ演奏までとにかく破天荒そのもので、とても大きな衝撃を受けた。すぐに行け柳田が収録されているLPアルバム「いろはにこんぺいとう」を買いに行った。
矢野顕子から離れてしまうのだが、柳田が五番で活躍していた時期はどんな巨人軍だったのだろうか。長嶋茂雄はまだ現役だったのかどうか、記憶は定かでない。「巨人軍は永遠に不滅であります」という台詞と共に引退していったのは、もう既に社会人になっていたような気がする。すると、クリーンアップの3番長島、4番王、5番柳田という時代だったのだろうか。
これも覚束ない記憶なのだが、小学生の頃、ジャイアンツのスターティングラインナップをセルロイドの下敷きに、コンパスの針で掘っていたことがある。確か、一番は柴田で、二番は土井?(ちょっと自身が無い)三番長島、四番は王だったと思う。五番以降はもう殆ど頭の中でごっちゃになっている。八番キャッチャーは森で、9番ピッチャーは堀内だったと思う。
一緒にラインナップを彫り込んでいたのは西鉄ライオンズだった。元々北九州出身で、父親がよくラジオで西鉄戦を聴いていたせいだろう。西鉄で記憶にあるのは、勿論中西と稲尾。後は二人外人が居た。シピンが居たのはずっと後だと思うので、独りはロイ。もう一人はどうしても思い出せない。
行け、柳田。行け、や~なぎだ~。行け長嶋、行け読売~ジャ~イアンツ~