norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

ルマン24時間耐久レース

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 湯本を出て、内郷(うちごう)駅を過ぎ、いわきまで到達した。

 

 いわきと言えば日産いわき工場を思い出す。隣にはもう無くなってしまったが、日立に吸収合併される前のアツギユニシアという会社が隣にショックアブソーバーの工場をほぼ同じ時期に建てていた。1980年代の終り頃である。アツギユニシアは主に日産向けにエンジン用部品などを供給している会社だったが、その当時はレース車用ショックアブソーバーでも有名だった。

一方の日産のいわき工場のほうは、V型6気筒エンジンの専用工場だった。この二つの工場には90年代にどちらも一度だけ訪問している。

 

 1980年代後半に、日産はフランスで行われていたルマン24時間耐久レースに参戦するようになる。フランス語では24 heures du Mans という。ルは定冠詞で、マンというのが街の名前だ。ちなみに、「~の」という前置詞de に男性定冠詞leが続くと縮約という現象でくっついてdu (デュ)という発音になる。知らないとデュマンと聞いて、「あれっ、ルマンじゃないの?」と驚く。

 

 1989年には日本車として初めてトップ争いに加わるが、その年は三台出走して最後は全てリタイア。

 翌1990年には予選タイム一位でポールポジション(スタートで先頭に出る権利)を獲得するのだが、決勝でリタイア。もう一台がからくも三位でゴールする。

 しかし、ここまでで、日産は暫くルマン耐久レースから遠ざかることになる。冒頭の写真は1990年の参戦車。ボディにユニシアのロゴも見える。

 

 2011年3月の大震災では日産いわき工場は大打撃を受け、ひと月ほど操業休止を余儀なくされる。打撃は日産いわき工場だけではなかった。日本の自動車産業そのものにストップが掛かった。自動車製造では、そのたった一つの部品でも供給停止になると、自動車のオフラインそのものが停止してしまうのだ。特に、特定の工場でしか製造出来ない特殊材料を用いた部品の場合は替えが効かないので致命的となる。確か霞ヶ浦の先辺りにあった冷間鍛造用の金属粉末工場の製造が停まり、にっちもさっちも行かなくなったと聞いている。

 

 日本の自動車産業の脆弱さは、実はタイの大洪水でも再来している。安く大量に作れればいいという時代は、自動車産業に限らず終わろうとしているのかもしれない。