norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

皇女和宮親子内親王

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 昨日は11000歩とちょっと。中津川を出て恵那というところを通過した。この中央本線沿線に恵那という街があって、山一つ越えた天竜川、飯田線沿いに伊那という街がある。何となくどちらかが陶器の街だったと思っていたが、どうも違うようだ。

 陶器と言えば大手はTOTOINA。だから恵那だか伊那がその発祥の地だろうと思っていたのだが、そうではなくて、ただの思い込みだったようだ。

 

 中山道を辿っていると、あちこちで皇女和宮という言葉を目にする。歴史、特に近代史はあまり詳しくないので知らなかったのだが、江戸末期、外国の圧力に屈してしまう幕府徳川家と、尊皇攘夷を掲げようとする皇族との勢力争いの中で、皇族の娘を徳川家に嫁入りさせようとする政略結婚が仕組まれたのだそうだ。その憂き目に遭ったのがこの皇女和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)であったとのこと。皇族から、将軍家と言えど皇族ではない一般人へ嫁入りすることを降嫁というようだ。その際に京都から江戸へ向かうのに東海道ではなく、中山道を使ったという。東海道より距離はあるが、大きな川を渡ることがないので、女性などには中山道のほうが好まれたという。それほど当時の川越えは大変なことだったのだろう。

 

 そう言われてみれば、中山道というのは、名古屋辺りから木曽川水系をずっと川沿いに進み、分水嶺の鳥居峠を越えても今度は信濃水系に沿って川沿いに下ってゆく。軽井沢から碓氷峠を越えた後も、今度は荒川水系に沿って川沿いに江戸へ向かっている。橋のない天竜川、大井川、富士川などを越えるのと比べたら鳥居峠、碓氷峠和田峠などの山越えのほうが遥かに楽だったのだろう。