昨日は浦和の先から大宮を抜け、宮原の先まで到達している。
この辺りの道路は複雑だ。元々は江戸時代から続く中山道が戦後までずっと使われていてたようだ。高度経済成長期にモータリゼーションの発達で車が増え、並行して走る片側2車線の道路が作られた。これが大宮バイパスだ。中山道は旧中山道と呼ばれるようになり、国道から県道に格下げになる。代わって大宮バイパスが新たに国道17号線となり、この道を中山道と呼ぶようになる。
ちなみに旧中山道は、フジテレビの女子アナであった有賀さつきが「いちにちじゅうやまみち」と誤って読んでしまったことで有名だ。
その後、今度は国道17号に対してバイパスが開設されることになり、そもそも国道17号が旧中山道のバイパスであったので、新大宮バイパスと呼ばれることになったそうだ。現在では国道17号という言い方は、旧中山道ではないほうの中山道(大宮バイパスという言い方は普通しないらしい)と、首都高5号線のガード下となっている新大宮バイパスの両方に使われているようだが、いずれどちらかが別の言い方になるのだろう。ああ、ややこしい。
新大宮バイパスを初めて走ったのは、大学に入って初めて自分達だけで旅行した信州へのドライブ旅行の帰り道だ。往きは国道20号、山梨を抜ける甲州街道を使っている。男二人だけで、ギターとラジカセに音楽カセットテープを一杯積み込んで出発した。まさに映画・幸福の黄色いハンカチの世界だ。
新大宮バイパスを使って都心へと戻る際はもう日も暮れていて、雨まで降っていた。私はまだ運転免許を持っていなかったので、専ら助手席で新大宮バイパスの車の多さに圧倒されていた。
この後、自分で車を運転するようになってからは、関越道が練馬から東松山まで延びたので、専らこちらのほうを使うようになり、新大宮バイパスとして認識して走ったのは、先の信州旅行の帰りが最後だったように思う。