norimakihayateの日記

現在は私の海外史に特化して記しています。私的な意見ははやてのHomePageへ書いています

小野小町

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 彦根を過ぎて能登川というところを超え、安土の一歩手前までやってきた。安土と言えば安土桃山時代とくる。私は歴女でもなく、大河ドラマフリークでもないので、戦国史はどちらかと言えば苦手である。いろんな史事の何処と何時に疎い。

 しかし、戦国時代から江戸の泰平期に到達するまでは、この琵琶湖のほとりの辺りが多々舞台となっているようだ。先に通り過ぎた関ヶ原もうそうだし、彦根も安土もその類だ。

 昔の人の移動距離たるや、今の人の想像を遥かに超えるものがある。東海道五十三次が書かれた江戸時代には参勤交代もあって、東京と京都の間の街道というのはかなり整備されていただろうが、戦国時代となるとどこまで道が整っていたのか、想像を絶する。馬も使ったのだろうが、殆どは徒歩だろう。今年の初めにこの東海道バーチャル道中に出てみて、徒歩ではそうそうは歩けないことに気づかされる。舗装されている道路が整っているという前提でこうだ。馬を使ったとしても、道がなければそうそうは駆け抜けられるものではない。

 もっと驚くのが、太古の昔である。スサノオノミコトの頃である。出雲でオロチを退治したという話があったような気がするが、神奈川県厚木の山奥にもスサノオ伝説があるそうだ。いったい、どうやって移動したのだろう。

 厚木と言えば、小野神社というのが山奥にあって、小野小町が祀られている。小野小町と言えば六歌仙平安時代歌人の筈なので、ずっと京都の人と思っていた。厚木まで移動したことがあるのだろうかと思ってwikiを引いてみると、何と秋田地方の出身という説がある。平安時代に秋田から京都まで移動したのだろうか。十二単を引き摺って?まさか・・・。しかしそう言えば、秋田新幹線はたしかこまちと言ったような気がする。お米もあきたこまちがあるではないか。

 安土から話がだいぶ脱線してしまった。