大垣の先、垂井を出て関ヶ原を過ぎ、柏原というところに至った。この辺りは近江の
国、甲賀忍者の由来する土地である。
大垣で、何故、普通夜行列車の終着点なのかと前回少し書いたのだが、冷静に考えて
みて、この辺りから濃尾平野を過ぎ、山中に入ったのではないかと気づいた。
大垣に繋がる東海道以外の三本のローカル線は、この山中ではない濃尾平野を走って
いる路線のようだ。してみると、大垣はその濃尾平野の最西端の要衝にあたり、ここか
ら先は、今日へ上る山越えとなることが判る。いわば、箱根越えの小田原に相当するの
だろう。ここを終着駅とする意味もだんだん見えてきた。
関ヶ原というのは、ずっと平地のど真ん中だと思っていた。・・原という名前がそも
そも平地のイメージがある。関ヶ原の戦いというのも、真っ平いらな平地に馬に跨った
甲冑の武士がそれぞれ平原に一列に並んで一気に攻めあったのだと思っていた。しかし
どうも関ヶ原というのが山中にあるようだ。合戦の場所としてはこちらのほうが理に適
っているとはいえるかもしれないが。