昨日は三島のちょっと手前まで到達した。箱根峠から長い、長い坂を下っていくと
中央分離帯に松林を保存している箇所に到達する。この辺りまで来ると三島の市街は
もうすぐだ。丹那トンネルを越えてきた東海道本線と、箱根を越えてきた国道一号線
はこの辺りで合流する。
三島と言えば、触れない訳にはゆかない場所がある。駿河平のベルナールビュッフェ
美術館である。東海道、国道一号線の沿線ではなく、どちらかと言えば、国道246号
のほうに近い。とは言っても246からもかなり外れている。
ここを最初に訪れたのは、かれこれ40年近く前のことになる。永六輔が長年放送し
続けていたラジオ番組の誰かとどこかでというので紹介されていて知って、三島の近く
にあるという情報だけで捜しに行った場所だった。地元の駐在所で訊いても判らず、諦
め、帰り掛けに入った駅前の喫茶店でレジで支払いの際に思い切って訊いてみたら、店
の店員の一人が知っていた。地図を書いて貰って、あちらこちら迷いながら山をひたす
ら登ってゆくと、突然それは葦の原っぱの中に忽然と現れた。
今では小洒落たリゾート地になっているのだが、当時はまだ開発途上とも言えない位
開発が緒に着いたばかりという頃で、葦の原っぱの他には材木や砂利などの資材置き場
位しかなかった。そんな中に建てられていたのは、ビュッフェ美術館と井上靖文学館の
みであった。
その頃のその場所の記憶は、その後読んだ横溝正史の人気シリーズ、金田一耕輔の
推理小説の中の一作、迷路荘の惨劇の冒頭の舞台を思い起こしてしまう。富士の裾野
の葦ばかりの広大な荒地に不気味な洋館が建っていて妖しげな片腕の男がその館に向
かって歩いていくというような設定である。そんな雰囲気が当時の駿河平にはあった。
最初の来訪から数年間は、毎年のように訪れていたが、今では何処をどう通って行っ
たのかも判らないほど、道も、土地の雰囲気も様変わりしてしまった。
姫よりまた飛脚便が届き、どうやら横浜宿を超えて権太坂手前辺りまでは辿り着いた
ようだ。 お庭番、はやてより。