norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

初めてのドライブ一人旅

大学三年にあがってすぐ運転免許の教習所に通い始め夏前に免許を取得した。その時は自分で車が持てるなどとは思ってなかったが、夏になってすぐに手に入れることになった。父親の同僚だった人が自動車修理工場を持っていて、そこで安く紹介するからと言われ…

日明(ひあがり)の叔母の家

祖母の家を訪問した後、九州最後の一泊をする為に向かったのは小倉にあった父の兄弟のうち長女だった伯母の家だ。幼少の頃、正月というと親戚の家に年始に行くという事が多かった。父から見て妹ではあったが、長女の叔母は小倉に棲んでいた。肉屋を経営して…

祇園町 祖母の家

大里の叔父さんの家でフグ刺しを御馳走になった後、母方の祖母の家に向かっている。祖母の家というのは、祖父は私が生まれる前に亡くなっており、別の人と既に再婚していたからだ。私達家族が北九州に棲んでいた頃には再婚後近くには住んでいた。先に紹介し…

大里の叔父さんの家

秋吉台は秋芳洞の片側の入り口で下して貰って、高校の修学旅行に続いて二度目の見学をして、反対側の出口で待っていてくれた従兄弟の車で九州へ戻ることになる。午前中半日のドライブだった。 その後は門司に棲むZ家を訪ねることにしていた。Z家は地名とし…

秋吉台ドライブ

帆柱山巡りをした夜は、今度は叔母の家に泊めて貰うことになる。私の父は元々五人兄弟で、末っ子は幼くして夭逝しているので子供の頃、親に連れられ四人兄弟で長崎から北九州の方へ移ってきている。長男の叔父が八幡、長女の叔母が小倉、次女の叔母が若松と…

幼い日の思い出 帆柱山

八幡近辺を従姉妹が案内してくれるというので、もう一つどうしても行って見たかった場所、帆柱山に連れていって貰うことにした。 今日の最初の画像は私の小学校入学の日の写真で、家のすぐ前で撮ったものだ。背景にうっすら写っている山が帆柱山だ。毎日家か…

思い出巡り 八幡

従姉妹に八幡駅に迎えに来て貰ったおかげで無事、叔父の家まで到着することが出来た。15年前、九州から関東地区へ引越をする迄、我が家は叔父の家と棟続きの長屋住まいだった。その時と同じ家まで案内して貰ったのだが、どうやって行けばいいのか全く分か…

記憶の片隅にある八幡

平戸、佐世保と駆け足で回った後、親戚の居る北九州市へ向かっている。私の生まれ故郷でもある。当時はまだ八幡市だった。その後合併して北九州市八幡区になり、その後東西に分離して八幡東区になっている。 故郷を出たのは小学校に上がった年の夏休み、再び…

平戸・佐世保 弾丸観光

大学1年から2年に掛けて、地元の教会で新しい友人が多く出来た。それらの多くは長崎県出身者だった。長崎県と言っても、長崎市出身の人はあまり居なくて、平戸や五島列島など比較的田舎の人が多かった。 それで長崎へ行ったついでに平戸と佐世保も観ておき…

26聖人記念館

長崎の旅で唯一はっきり記憶にあることがある。ユースに泊まった翌朝、早朝に26聖人記念館に向かったことだ。この日はとにかく時間が無くて、半分駆け足で26聖人記念館への坂道を上がったような気がする。 有名な26聖人のレリーフのある巨大なモニュメ…

オランダ坂ユースホステル

浦上天主堂を訪ねた後、その日泊るユースホステルに向かったのだと思う。長崎の旅の記憶は写真が10枚程度残っているだけで、日記も付けていないので甚だ心許ない。 泊まった場所がオランダ坂ユースホステルだったという事は、ユース会員証に前年の東北旅行…

原爆の傷跡

浦上天守堂は、長崎原爆の爆心地だ。私の父方の親族は戦地へ出ていた男達を除いて殆どが原爆投下の日に亡くなっている。私の祖父は父を含めた4人の子供たちと祖母を伴って小倉へ引っ越していたので難を逃れた。元々広島に続く原爆は当初の目標地は小倉だっ…

浦上天主堂

グラバー邸を見学した後、浦上天主堂に向かっている。浦上天主堂というのは昔の言い方で、現在はカトリック浦上教会というのが正式名称のようだ。 実は浦上天主堂近辺は既に他界している私の父親の生まれ故郷だ。天主堂のすぐ裏側に嘗ては山里村というのがあ…

グラバー邸

タイトルにグラバー邸と書いているのだが、実はグラバー邸に関してはあまり記憶にない。確かに写真も数枚残っているし、今日の冒頭の画像の入場券の半券らしい紙片も残ってはいるのだが、これといった感想も思いだせない。 大学生になって二つ目の大きな旅行…

グラバー邸への道

大浦天主堂を見学した後、天主堂のすぐ右だったか左だったかに斜面をずっと登っていく小路があって、それに沿ってグラバー邸へ向かう。どんどん標高が高くなって天主堂の尖塔が下に見えるぐらいになると、遠く長崎湾の景色が見えてくる。 私が結婚した時、仲…

大浦天主堂

ブログをやるようになって、その記事に挙げる場所をネットのグーグル地図のストリートビューなどを観ていて驚くことがある。その一つが大浦天主堂だった。私の記憶、そして当時の写真と、グーグルのストリートビューに挙げられている大浦天主堂の外壁の色が…

最初の目的地 大浦天主堂

長崎を訪れた次の年に北海道旅行をして最初に函館を訪れている。長崎と函館はとても良く似ていて記憶の中ではよくごっちゃになる。共に路面電車が走っていて共に坂が多い街だからだろう。 夜行急行、雲仙に乗って長崎駅に辿り着いたのは早朝だった。長崎に行…

長崎 北九州への旅

大学二年の秋にした東北旅行の次に旅に出たのは、約一年後の大学三年の秋、長崎、北九州への旅だった。 大学二年から三年に掛けての間に教習所に通い、運転免許を取得している。つまりその間のアルバイト代はこの為に費やされていて、旅行資金は工面出来なか…

左沢(あてらさわ)線の気まま旅

帰りの奥羽本線はずっと各駅停車での旅だったようだ。山形を通過する一つ手前の北山形でローカル線の左沢線に接続している事に気付き、寄道をして、終点の左沢まで行ってみることにした。左沢と書いて「あてらさわ」と読むことはずっと前から知っていた。中…

特急の通過待ち

東北からの帰り道は奥羽本線を使うことになる。横手という駅で東北本線の方へ向かう北上線と分岐するのだが、その横手の次の駅、柳田で特急通過待ちの為、ホームで待たされることになる。 ホーム直後の防風林の向こう側は延々と田圃が広がっていて他には何も…

ピカソ シルヴェットとの邂逅

偶々ガイドブックで見つけた平野政吉美術館だったが、藤田嗣治など有名な画家の作品を幾つも観た後、ギャラリーの最後の階段手前でとても美しい女性の横顔の油絵を見つける。その絵に見入っていると初老の紳士が後ろから近付いてきて、ピカソのシルヴェット…

秋田県への第一歩

田沢湖のユースへ泊った翌日は、もう東北旅行から帰る日だった。田沢湖から国鉄の駅まではバスですぐだった。その時、田沢湖駅から秋田県まではすぐの距離にあることに気づいた。特に行きたい目的地がある訳では無かったが、秋田県には今行かなければもう二…

田沢湖の夜 ジャズ喫茶

十和田湖や田沢湖のような湖しかない場所で何をしていたのか考えていて、ふとジャズ喫茶へ行ったことを思い出した。 最初に泊った盛岡でも夜、珈琲を呑みに喫茶店へ行っているが、そこは間違いなくジャズ喫茶ではなかった。そうなると消去法で、ジャズ喫茶に…

田沢湖へ

十和田湖畔の博物館ユースに泊った翌日は、青森とは反対方向へ向かう田沢湖往きの国鉄バスに乗っている。田沢湖へ向かった事は間違いないのだが、不思議なのはどうやって時間を潰したかだ。十和田湖畔にも田沢湖畔にも大して見る場所はない。二つの湖の間は…

十和田湖 遊覧

青森を出た国鉄のバスが十和田湖に到着したのは昼過ぎと夕方の間位だった筈だ。とにかく湖畔には何もないところで、ユースに入るにはまだ時間があったので遊覧船に乗ることにした。陽は翳り始めていて、湖面を囲う山肌は夕陽を浴びて淋しげな雰囲気を醸し出…

国鉄バス 奥入瀬巡り

青森駅で青函連絡船を見送った後、バスで十和田湖へ向かうことにする。何故バスを使ったのか不思議だったが、よくよく考えてみると青森ー十和田湖間は当時の国鉄が定期観光バスを運行させていて、これに周遊券で乗れた事を思い出した。周遊券を買った時点で…

津軽海峡 秋景色

盛岡のユースホステルに泊った次の日は青森を目指すことにする。何日か前に東北本線は今は一ノ関までと書いてしまったが、それは誤りで盛岡までが東北本線だった。その先は八戸までがIGRいわて銀河鉄道、更にその先が青い森鉄道という第3セクターのロー…

盛岡 泊

松島を巡った日の夜は盛岡に泊っている。今、JR時刻表を観てみると東北本線と第3セクターのローカル線を乗り継いでいくと松島から盛岡まで3時間強掛かるようだ。東北本線が青森まで通じていて特急、急行もあった時代ならもう少し短い時間でゆけたかもし…

遊覧船 周遊

松島ではあまり記憶が残っていないと書いているが、残っている当時の写真からどうみても船の上から撮っているらしいものがある。既にセピア色に変色しかかっているものだ。地図を観ると埠頭のすぐ傍に遊覧船乗り場があるので、そこから船で松島を廻ったとい…

記憶のない松島

大学生の頃から日本三景は全て制覇したいと思っていた。宮島は高校の修学旅行で既に訪れていたので、残るは松島と天橋立だった。 そんな思い入れの松島だったが、不思議と松島の記憶は残っていない。昨日使った画像の福浦橋の入場切符もそれが残っているから…