norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

記憶の片隅にある八幡

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 平戸、佐世保と駆け足で回った後、親戚の居る北九州市へ向かっている。私の生まれ故郷でもある。当時はまだ八幡市だった。その後合併して北九州市八幡区になり、その後東西に分離して八幡東区になっている。

 故郷を出たのは小学校に上がった年の夏休み、再び訪れたこの時は大学三年だったので、15年ぶりぐらいになる。今日の画像は父親の古いアルバムにあった一枚。多分、八幡駅近くだろうと思うのだが、確信はない。西鉄だった路面電車がこんな感じだった記憶があるが、小学生の頃まで八幡駅まではおそらく数回しか行ったこともなかっただろう。

 八幡駅には従姉妹が迎えに来てくれた。勿論会うのは15年ぶりで顔も分からない。しかし駅で何となく雰囲気でお互い従姉妹、従兄弟と判ったようだった。

 

平戸・佐世保 弾丸観光

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 大学1年から2年に掛けて、地元の教会で新しい友人が多く出来た。それらの多くは長崎県出身者だった。長崎県と言っても、長崎市出身の人はあまり居なくて、平戸や五島列島など比較的田舎の人が多かった。

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 それで長崎へ行ったついでに平戸と佐世保も観ておきたいと思ったのだろう。北九州へ向かう前に26聖人記念館を駆け足で観た後、平戸の方向へ向かう電車に乗っている。正確には平戸口で降りて、近くの教会に寄り、その後平戸島へ向かう橋の手前まで行ったような気がする。橋を渡って平戸島までゆく時間的余裕が無かったのだったと思う。帰り道に佐世保で一旦電車を降りたのだったと思う。あちこち回る余裕もなく、丘の上に建つ佐世保の教会も見上げて写真を撮っただけに終わったようだ。

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26聖人記念館

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 長崎の旅で唯一はっきり記憶にあることがある。ユースに泊まった翌朝、早朝に26聖人記念館に向かったことだ。この日はとにかく時間が無くて、半分駆け足で26聖人記念館への坂道を上がったような気がする。

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 有名な26聖人のレリーフのある巨大なモニュメントの後ろ側に現代アートのような二本の尖塔を持った教会があって、中にも入っているようだ。

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 この場所の近くに原爆の平和記念像があったような気がしていたのだが、今になって調べてみると、ここではなくて浦上天主堂の近くの平和公園だった。この平和公園と26聖人記念館そばの西坂公園が頭の中でごっちゃになっているようだ。

 朝早くから急いで回っていたのは、この日のうちに親戚が多く居る北九州市へ向かわねばならないのだが、その前に佐世保と平戸を観ておきたかったからだ。

 

オランダ坂ユースホステル

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 浦上天主堂を訪ねた後、その日泊るユースホステルに向かったのだと思う。長崎の旅の記憶は写真が10枚程度残っているだけで、日記も付けていないので甚だ心許ない。

 泊まった場所がオランダ坂ユースホステルだったという事は、ユース会員証に前年の東北旅行で三つ泊まったユースのスタンプの次に、このスタンプが残っていることで間違いない。しかしどんな場所だったかというと全く思い出せない。

 日本のユースホステルはその殆どがネット時代を迎える前に無くなっているので、当時を伝える写真を捜すことも殆ど出来ないようだ。このオランダ坂ユースホステルも取り壊される際の工事現場の画像が残っている程度だ。

 

原爆の傷跡

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 浦上天守堂は、長崎原爆の爆心地だ。私の父方の親族は戦地へ出ていた男達を除いて殆どが原爆投下の日に亡くなっている。私の祖父は父を含めた4人の子供たちと祖母を伴って小倉へ引っ越していたので難を逃れた。元々広島に続く原爆は当初の目標地は小倉だったそうだが、天候の関係で急遽長崎に変更になったという。皮肉なものだ。

 浦上天主堂は小高い丘の上にあって、天主堂へ登る正面の坂道には途中に幾つも諸聖人の石像があるのだが、それらの中には頭の部分が吹き飛んでいるものがあった。

 

浦上天主堂

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 グラバー邸を見学した後、浦上天主堂に向かっている。浦上天主堂というのは昔の言い方で、現在はカトリック浦上教会というのが正式名称のようだ。

 実は浦上天主堂近辺は既に他界している私の父親の生まれ故郷だ。天主堂のすぐ裏側に嘗ては山里村というのがあったらしい。現在は市立山里中学校というのにその名を留めているに過ぎない。そこに父の親とその長男、つまり当時の言い方で言えば家督の叔父(父からみてだが)の家族が棲んでいたらしい。

 そんな話を知ったのは、父親が亡くなって原戸籍というものを取り寄せる必要があって初めて知った事実だった。その辺りの話は以前このブログでも一度書いている。

 この場所を訪れた大学三年の秋には、そんな事は全く知らないままこの浦上天主堂を訪ねていたのだった。

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グラバー邸

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 タイトルにグラバー邸と書いているのだが、実はグラバー邸に関してはあまり記憶にない。確かに写真も数枚残っているし、今日の冒頭の画像の入場券の半券らしい紙片も残ってはいるのだが、これといった感想も思いだせない。

 大学生になって二つ目の大きな旅行だったが、まだ旅行の仕方というものが分かっていなかったのだろう。とにかくその土地の有名観光地には寄ってみているが、そもそもそんな有名観光地に興味も持っていなかったのだろう。旅の仕方というものを模索していた時期なのかもしれない。

 今日の二つ目の画像は当時フジカラーフィルムで撮ったものだが、そうとう色褪せしてきている。画像処理ソフトで色補正は多少しているのだが、自然なカラーにはなっていない。撮ってプリントした当初はもっと綺麗な画像だった筈なのだが・・・。

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