norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

気になる隣室の気配

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 (寮の個室)

 このブログは自分の記憶の他はメモのような当時の日記だけを頼りに書いているので、いろいろ間違いや記憶違いが起きてくる。昨日の記事で、入寮初日は夕食を頼んでなかったと書いたのだが、翌日の日記に前日の夕食は焼肉だったと書いてあって、ちゃんと寮で夕食を頼んだことが判った。ラーメンは遅い昼飯だったらしい。二日前のブログではカフェテラスの名前がはっきりしないと書いていたが、これも二日目の日記にレイクヴィラとちゃんと書いてあった。

 さて、入寮初日だが早々に夕食を食べてしまって自分の部屋に戻る。水道が凍るぐらい寒いのに、暖房は電器炬燵がひとつあるだけ。とにかく寒いので炬燵で丸くなっているしかない。テレビも無ければラジオも持ってきていなくてすることがない。本ぐらいは持っていったのだったかもしれない。

 夜遅くなって木張りの廊下に足音と話声が聞こえてきた。女性二人の話声で隣の部屋に入ったのが分かった。到着が遅くなってしまったらしい。それ以降は何を話しているのか判らないが、ぼそぼそと声がする度に気になって仕方ない。何せ板一枚の壁で隔てられているだけの寮なのだ。

 

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 (ぎしぎし音のする廊下)

 

大学 学生寮入寮

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 Y湖に辿り着いたのが昼過ぎ。湖畔のカフェテラスで時間を潰してからの入寮だったので大学寮に入ったのはおそらく3時過ぎぐらいだったのではと思われる。当初、管理人さんがなかなか見つからず苦労したようだ。漸く部屋に案内されて暖房器具が炬燵一つのみであるのを知って唖然とする。

 その日の夕食は、当時の日記によると外食でラーメンを食べてきたらしい。寮での食事は完全予約制で、当時は携帯もメールも無い時代で、何時に寮に入れるか予想できなかったので到着当日は食事を予約しなかったようだ。ちなみに湖畔の何処かで食したラーメンは当時の日記によると170円だった。そんな時代だったようだ。

 寮の部屋は板張りで窓枠もサッシではない木製のもの。建てられたのはおそらく明治時代なのだろうと推測される。廊下から続く渡り廊下に洗面所があったのだが、水道は一つだけが流しっ放しで寮の管理人から夜間凍るので止めないようにと言われていた。それ以外の水道栓は凍っていて使えない。風呂も夏期は大風呂が使えるらしいのだが、私が訪れた冬季は大風呂は使用停止で、何日かに一度だけ管理人が使う個人風呂を使わせて貰う形になっているとの事だった。到着した当日は勿論風呂なし。

 

Y湖 幻のカフェテラス

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 Y湖畔に着いて雑貨店で買い食いをして腹を満たした後、元気を取り戻してその日宿泊する学生寮の場所を確認がてら、湖を一周する。

 Y湖と言えば白鳥の形をした二階建ての遊覧船が有名だが、その船着き場近くに今となっては幻のカフェテラスがあった。レイクサイドなんとかだったか、レイクヴィラなんとかという名前だったと思う。白っぽい建物で喫茶軽食コーナーが二階にあって、湖を見下ろせた。一階は土産物屋だった気がする。

 Y湖に来たのはこの時が初めてだが、この時からY湖に来ると必ずここに寄って二階席で湖を見下ろしながら珈琲を飲むのが習慣になっていた。

 それほどお気に入りの場所だったのだが、ある時Y湖を訪ねたら建物ごとすっかり無くなっていた。数年に一回程度訪れる程度だったし、最初に訪れてから数十年経っているので仕方ないのだろうが、名前も思いだせなくなってしまったのが名残惜しい。

 

ツーリング時の出で立ち

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 昨日のブログでY湖畔に降り立った時に本格的サイクラ―のウェアを着た三人組に出遭った話を書いた。それで、してみると自分はその時どんな格好をしていたのだろうかと思い立った。

 本格的サイクルウェアを自分用に購入したのは20年ちょっと前だ。その頃でも本格的サイクルウェアで自転車に乗る一般人は少なかったと思う。

 最初に思いだしたのは手袋だ。雪も散らつく様なかなり寒い時期だったので手袋は必需品だった。多分、この自転車旅行に出る少し前に購入したのだと思うのだが、ヤマハの音叉を三つ組み合わせたマーク入りのかなり頑丈なものだった。今日の画像のは、似た感じのもの。購入した当初はスキー用の手袋だと思い込んでいた。しかし冷静に考えてみると、ヤマハは楽器メーカーではあるがオートバイの三大国産メーカーでもあり、オートバイのツーリング用の手袋だったのかもしれない。実際、私は自転車派だったが、弟がオートバイ派で私のヤマハ製手袋をよく貸りて愛車のバイクでツーリングに出掛けていた。貸していて何処かで失くしたらしく私の元には戻って来ず、結局別のヤマハ製の手袋を後日、買い直すことになる。

 手袋の事から、下に穿いたパンツは伸縮素材で出来た姉のお下がりのスキー用パンツ、上にはスキー用の目の混んだセーター、さらにその上にスキー用のウィンドブレーカーを羽織っていた事を思い出した。

 今日の画像も当時のものではなく、ネットからの借り物。

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Y湖 到着

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 山伏峠の山伏トンネルを抜けると眼下にY湖が見えてくる。峠からY湖までは一面ススキの野原しかない。空腹でへろへろになりながらも湖畔まで一気に駆け下る。湖を一周する道路に出たところに一軒、何でも屋みたいな雑貨店を見つける。とにかく腹を満たすものと思って、信州旅行でM氏に教えられた魚肉ソーセージを4本、ミニチーズ、肉まん一個を買って店の外のベンチで食べることにする。そこへ中学生か高校生ぐらいのサイクラ―三人組が通りかかる。いわゆるサイクラ―らしいウェアを三人共着ている。あの当時、一般人がサイクルウェアを着てロードバイクに乗るというのは殆ど居ない時代だ。サイクリング部ぐらいでしかなかっただろう。三人目が声を掛けてきて、何処へ向かうのか訊いてきたので、今夜はここで泊りだと答える。

 今日の画像は当時のものではなくて、何十年ぶりかで車で最近訪れた際のものだ。

 

山伏峠へ

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 県境を過ぎた辺りからだんだん道が悪くなる。舗装されていない箇所が幾つもあって、前日の雨でぬかるんでいてズボンも自転車も泥だらけになってくる。

 11時を過ぎると段々お腹が減ってくるのだが、店らしきものはおろか、家一軒見当たらない。爪先上りの坂というのを初めて知ったのは、川端康成だったか、太宰治だったか、井伏鱒二だったかなどと考えながら登ってゆく。最後のほうはとうとう自転車を降りて押して登る。

 もう駄目かと思う頃、少し坂が楽になってきて、再び自転車に跨るとトンネルが見えてきた。山伏峠を越える山伏トンネルだ。

 このトンネルはその後何度も車で通過しているが、何時の間にか少し離れた所にもう少し広い新山伏トンネルが開通し、このトンネルは通行禁止となったそうだ。自転車で登ったこの時はカメラを持参して居なかったので当時の写真は残っていない。今日の画像は借り物だ。

 

道志みちを行く

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 20分ほどでパンクが直り朝の7時半には再度出発。前日、変速ワイヤを直した自転車屋の近くで、朝早くから開いている雑貨店のような店を見つけ、パンと牛乳を買って店の外で食べていると、地元の女学生らしき数人が横目で観ながら通り過ぎる。通学路のようだった。

 暫く来た道を戻って途中からY湖の方へ向かう道志みちという細い一本道に入る。道志川沿いの道志渓谷を突っ切っていく道だ。基本的に登りだが、所々に下りもある。しかし下るからにはその分また登る量が増えるだけで、あまり嬉しくない。時々遥か眼下に道志川が見おろせる。キャンプ場が幾つかあるような場所で、人家は殆ど見当たらず、道行く人にも出遭わない。2時間弱走って、ようやく県境にまで到達するが、まだ道は半ば、というか3分の1程度に過ぎない。

 前日の雪が嘘のようにまずまずの天気になってずっと漕いでいると暑いぐらいだ。やっと自販機が置いてある店を見つけて、スプライトを一缶飲んで元気をつける。