norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

メトロで危機 再び

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 ノートルダム大聖堂の見物を終えると、地下鉄メトロでまっすぐホテルを目指すことにする。地下鉄がモンマルトルに近づいてくると、段々危険なゾーンになるのが肌で感じられる。特に乗換えをするバルベスロシュコー付近では怪しげな人達が多いだけに緊張する。と、思っていたらそのバルベスロシュコーでの乗換えの間に、私の後方で妻と娘が騒いでいる。どうも誰かが妻のバッグを探ろうと手を出して、それに気づいた娘がその手を出した少年をはたいたらしく、それで妻が大きな声を挙げたらしかった。私も思わず興奮して「この男か。こいつか。」とホームの上で叫んでしまっていた。

 まだ仲間が近くにいるらしかったので、その辺りは避けて急いでホームの奥に進む。息子も何とか自分達で防ごうと私のバッグのチャックをしっかり握ったりしていた。最後にホテルのあるアンバースの駅で地上に出て、ホテルのある側へ道路を渡ったところで、やっと皆でほっと息を吐いたのだった。

 

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ノートルダムを下る

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 ノートルダム大聖堂の鐘楼の内部を見学したところで塔を降りることにする。往きはなかなか着かないと息を切らせながら登ったのだが、下りは一気だった。時折下が見おろせる窓が幾つかあるが、みるみる建物が近くなってくるのが判った。

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 ノートルダムの塔の上まで登って降りただけでもう相当疲れてしまって、そのまま真っ直ぐホテルへ帰ることになる。ノートルダム大聖堂の直近の地下鉄駅はシテ島だが、ここはとても地下深いところにある。長いエレベータが付いていて、延々と降りてゆくのだが、ホームまで到着してみて初めて、どちら行きのホームかで乗るべきエレベータが違っていたことに気づく。幸い偶々乗り込んだエレベータは我々が行きたい方向のものだったので、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。

 

ノートルダム登頂のリベンジ 4

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 2002年の南仏旅行は我々夫婦にとって4度目のパリでノートルダム大聖堂は毎回必ず訪れている。その4度訪れた中で鐘楼まで登ったのはこの時が二回目だったと記憶している。鐘楼は二つあって、片側は内部の鐘を見学出来、もう片方は鐘楼の屋根の上へ嘗ては登れた。しかし2002年の時は安全策が強化されて、もう屋根の上は登れないようになっていたようだ。

 子供等は初めてなので鐘楼の内部を見学させることにした。このノートルダム大聖堂の鐘楼を観ると、ノートルダムのせむし男を何故か思い出す。何故かというのは、実際にはノートルダムのせむし男と言う話は読んだことも映画を観た訳でもないからだ。おそらくは小学生の頃、図書室に置いてあった子供向けの本の表紙の絵だけえ観て、強烈な記憶として頭に残ったのだろう。ちなみに、今ではせむしという言葉は差別用語とみなされているので、おそらく小学校の図書室には存在しないだろうと思われる。

 

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ノートルダム登頂のリベンジ 3

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 今日はノートルダム大聖堂の上の展望台からの眺めを纏めて紹介することにする。最初の画像は塔から西南西の方向を眺めたもの。エッフェル塔の左側にサンジェルマンデプレ教会とその後ろにナポレオンの遺体を安置するアンヴァリッドが重なって見えている。エッフェル塔の右側に見える黒い窓が幾つも穿たれているように見える巨大な建造物は2016年7月頃のブログでも触れているが、社会人類学図書館だ。

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 次は塔から西北西方向に見えるサントシャペル教会。まわりをコンシェルジュリーと呼ばれる建物に囲まれた中庭のようなところに建っている。嘗てはマリーアントワネットも収監されていた監獄跡で、現在はパリ警視庁が入っている筈だ。

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 次は南西方向ぐらいになるだろうか。サンシュルピス寺院だ。正面に立って左側の鐘楼はこの時、修復中だったようだ。

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 サンシュルピスから少し左に目を移した方角で、最初の画像のアップ。サンジェルマンデプレ教会とアンヴァリッドが並んで見えている。

 ノートルダム大聖堂の上から観るパリは、何度見ても見飽きない。

 

ノートルダム登頂のリベンジ 2

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 やっとのことで順番が来て、10人ぐらいまとめて階段の中へ入れる。段数を数えていこうと話していたので、息子は一生懸命数えていたようだ。280段目くらいで聖堂上の細い展望台のような場所に出る。20年ぐらい前にも一度昇っているのだが、その時には無かった転落防止の粗い金網が張り巡らされていた。ノートルダム大聖堂は数百年の歴史がある筈なので今更という気もするが、自己責任だけという訳にはゆかない時代になったという事だろう。

 下からではあまり判らない奇怪な形の怪物たち、ガーゴイルがすぐ目の前に見える。息子はこれを見て感激して「これは凄いよ。来てよかった。」などと言っていた。娘のほうはポーカーフェイスを装って素知らぬ顔でオペラグラスなどでパリの街並みを見下ろしていた。

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ノートルダム登頂のリベンジ

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 オテル・ダンバースにチェックインしてから、近くのイタリアンをやっているピッツェリアで遅めの昼食を採ってから、パリ二日目に時間が無くて諦めたノートルダム大聖堂の鐘楼へ昇る為、再び出掛けることにする。金曜の夕方なので、前回ほどは混んでないだろうと思っていたのだが、やはり列は結構長くそれも時々しか進まない。30分ほど並んで列の終りの入場券売り場まで来て10人ずつぐらいの小集団に分けて時間を空けて入れていることが判る。一気に入場させると狭い階段で押し合いが起きて危ないからなのだろうと推測する。

入場券は年齢別になっているらしく、娘と息子の歳をフランス語で告げると2種類の色の違う切符を呉れた。入ってすぐにエレベータがあって中二階位の高さの部屋へ入る。聖堂側で言えば、パイプオルガンの奏者が居る二階ぐらいの場所になるのだろうと想像する。壁際に小さな螺旋階段があって、その先に木の扉があり、そこから堂内へ出入り出来る風だった。お土産屋と色んな資料の展示室を兼ねたような部屋で、ここでも再び5分程度待たされて、十人ずつぐらいが呼ばれて順に階段に入るような仕組みになっている。

 

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四日ぶりのパリ

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 12時過ぎにパリに着いて、着た時と逆向きに地下鉄に乗ってアンバース・ホテルのある駅、アンバースを目指す。しかし四日ぶりとなるパリは、のんびりしていた南仏と打って変って、緊張感が走っているのが子供等の表情からも見て取れる。かっぱらいに出遭ったサクレクール寺院の記憶が脳裏を掠めるのかもしれない。

 まずはホテルにチェックインする。今度は前回より一つ階が上の最上階、いわゆるロフトと呼ばれる部分だ。部屋は特に狭くも天井が低くもないのだが、壁から天井に至る部分が少しだけ斜めに削られているのがロフトであることを示している。相変わらずエアコンが無い部屋で、居る時は窓全開を強いられるが、着た時よりは暑さを凌ぎやすくなっていた。しかも今度はシャワーだけではなく、湯船付きのバスルームだった。何より最上階ということで窓からの眺めが最高だった。屋根裏には19世紀にはさんざん使われていたと思われる煙突がすぐ近くに見えるのだった。

 

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