norimakihayateの日記

バーチャル旅日記からスタート。現在は私の国内旅行史に特化しています。

雨季の突然のスコール

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 今日で1996年のバリ旅行については最終回としたいと思っている。以前の記事で1993年のタイ・プーケットの旅行が雨季に当たり、雨の日が多かったと書いたと思うが、考えてみればタイにしろバリのあるインドネシアにしろ同じ東南アジアなので7月から8月に掛けての頃はどちらも雨季に当たるようだ。1996年のバリ・パドマホテルの時も何度もスコールにあったのを思い出した。しかしバリの雨季は毎日のようにスコールがあるが、降っている時間はほんの数分で、土砂降りのような雨になるが、暫く立つと青空が出て強い太陽光線が戻ってくるのだった。今日の画像も朝食を採っている最中に吹き曝しのダイニングで外にスコールが降りだした時のものだ。画像にははっきりとは写っていないが、軒の外は土砂降りなのだが、食事が終わる頃には何事も無かったかのように晴れ渡っているのだった。

 

何度目かのバリ・ナイトショー

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 1996年のバリ旅行は三度目のバリだった。なので、夜ホテルで催されるバリの民族舞踊のナイトショーはもう大分馴染みになっていた。しかしバリの夜にライトアップされた舞台で、ガムランや笛の音、おどろおどろしい太鼓の音の中で演じられるバリ特有の舞踊は何度みても見飽きない魅力がある。この年の旅の中で幾つナイトショーを見たのかは、はっきりとした記録がないが、残っている写真からすると、一つはバロンダンスだったようだ。この時もショーの最後に踊り子たちと記念写真を撮っている。

 

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クタ・ビーチのサンセット

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 1996年のバリ・パドマホテルは、1994年のビンタン・バリホテルと同様にバリの西海岸にあるクタ地区なので、ホテルのプライベートビーチは夕陽が美しい。クタ地区は数々のホテルが敷地を接して隣接しているので、各ホテルのプライベートビーチがずっと続いている。プライベートだからと言って宿泊客は別のホテルのビーチへ入ってはいけないという訳ではない。しかし注意しなければならないのは、ついついビーチの散策に気を許して楽しんで歩いていくと、何処が自分のホテルの敷地だったか判らなくなってしまうことだ。そっくりというほどではないが、バリ特有の幟は何処でもあるし、バリ特有の割れ門や神々の石像などは並べて比べれば違うものの、外国人には区別がつかない。1996年の時は、5歳にまだなっていない息子がこれに嵌ってしまった。皆でビーチに出ていたのだが、一人で浜辺沿いに歩いていってしまって何時の間にか自分が何処に居るのか判らなくなってしまったようだ。迷子になった事に気づいて妻と手分けして探していたら、泣きながら現地のオバサンに抱かれて近づいてくる息子の姿を見つけて安堵したのが忘れられない。

 

ホテルのプール遊び

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 1996年のバリ・パドマホテルでの滞在のメインイベントは何と言っても子供達のプール遊びだ。日本では何かと制約の多い公営プールと違って、禁止事項が殆ど無い。朝から晩まで好きなだけ泳ぐことが出来、子供達にとっては天国のようなものだ。その間、大人たちは何もせずにプールサイドでお酒を呑んでいられるというのも嬉しい。

 上の娘はバリ・パドマホテルが6度目の海外旅行で当初は全く泳げなかったのが四度目のビンタン・バリホテルの時ぐらいから息継ぎしながら泳げるようになっている。5歳下の息子のほうは、5度目の海外旅行になるが、浮き輪付きなら一人で泳いで行けるまでにはなった。自分で息継ぎして浮き輪なしで泳げるようになるのにはまだ2シーズンかかることになる。

 

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ティワラ・デワタでの買い物

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 間違ってチャハヤ・デワタのライステラス見物に連れられていった後、スーパーのあるティアラ・デワタにも連れていって貰っている。息子はそこでバリとは何の関係もないリモコンのレーシングカーの玩具とガンダムの偽物みたいがフィギュアを買って貰ってご満悦だった。

 Tシャツも安くて何枚も買ったのだが、そのうちのバロン神を刺繍してある物は私も気に行って未だに使っている。

 

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ティワラ・デワタとチャハヤ・デワタ

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 1996年のバリは三度目だったが、確か二回目の時にタクシーをチャーターしてクタの市内にあるスーパーマーケットに買物に行っている。お土産用のTシャツだとか子供の玩具だとか、インスタントラーメンなどがとても安く買えて気に入ったので、三度目の時もやはりタクシーをチャーターして再度行ってみることにした。ところが、タクシーはどんどん山の上のほうへ向かっている。遂には山頂のようなところに到着する。そこからはライステラスと呼ばれている棚田が山の斜面にずっと広がっているのが眺められる場所で、観光の名所にもなっているらしかった。その時やっとティワラ・デワタというスーパーマーケットに連れていって貰うつもりだったのに、チャハヤ・デワタという観光スポットに連れて来られたことに気づいた。おそらくはタクシーの運ちゃんが聞き間違えたのだろう。日本から来た観光客が地元のスーパーに行く筈は無いから、名前が似ている観光名所のことを言い間違えたのだと勝手に解釈したのかもしれない。結局その山の上で景色を眺めながら昼食をすることになったのだが、間違えたにせよ行っていい場所だった。

 

マス村での買い物

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 マス村では念願だったデヴィスリの木彫り像の他にもう一点購入している。それは木彫りのチェスのセットだった。しかも一つひとつの駒がバリの神々の像を模しているのだ。これは一目見て気に入って買ってしまった。バリのこの手の品物は値段があって無いようなもので、勿論半分以下に値切っては買ったのだが、高かったのか安かったのかは未だに判らない。

 ホテルに帰ってベランダで早速遊んでいると、我々家族の泊っている部屋の二階に宿泊していたアメリカ人夫婦が通りかかって、チェスセットを見て、「まあ。それ、いいわね。何処で買ったの?」と(英語で)訊いてきたので、マス村の地図を書いて教えてあげたのだった。

 

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